Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

近況報告(2019年3月下旬-4月報告)

      f:id:tsubosh:20190428150239j:plain

ご無沙汰しています。相変わらず自宅と職場の往復が続いていました。こういう状態だとなかなか書くことが見つからなくなります…。10連休となり一呼吸つけるのかなと思っています。たまっていた諸々のことを片付けていきたいと考えています。

昨日は、気分転換に東国三社(鹿島神宮香取神宮、息栖神社)へ行ってきました。上の画像は鹿島神宮の御手洗池の画像です。最近、おみくじを引くと大吉が多いです。よい傾向かも。

インタビュー

久しぶりの更新です。ノンフィクションマラソン36冊目は『インタビュー』です。

インタビュー

インタビュー

 

ノンフィクションは、単に文献調査をするだけでは面白い作品にならないことが多いのではと私は考えています。様々な取材やインタビューを通じて得られた生の声を交え、物事を立体的にとらえることで、初めて臨場感が出てくる場合が多いと思うのです。

この『インタビュー』という本は、インタビューを生業とする筆者が、自身の経験を基にインタビューの可能性について語った本です。記述が行ったり来たりし、正直、私が好む文章ではありませんでした。しかし、時々、はっとさせられる考察が出てきます。(実は、朝日カルチャーセンターでの著者の講座に出ているのですが、同じような経験をよくします。)

そして、ここからが私としては地域性の差として私的に重視していることなのだが、社会におけるさまざまな意味での暴力にしても、日本の場合には、表面的な言動としては一見おとなしく見えるのでわかりにくいままになっていて充分に語られていない面が多々ある。(…)いってみれば「静かなコミュニケーション」とでも捉えられるものに存在感がある日本という地域において、アメリカでのラップほどのリアリティをつかみたい、と思う時に私が頭のなかでイメージするのが、インタビューという道具なのである。(p.66)

筆者は、昨今のインタビューが広告的な目的に使用され、いわば「ドーピング」させられている状態に置かれていることに危惧を抱きます。そうではなく、目の前の取材対象者(他者)の「声」それ自身に耳を傾け、その人の過去から現在に至るまでの感情の軌跡を辿るべきだと考えます。そして、ラップも声による他者との相互行為でありインタビューとの共通点も多いが、インタビューは、とりわけ、静かな抑圧的な社会の中でもがいて生きている人の声や記憶を掘り越すことができるミニマムな表現手段だと筆者は考えるのです。

筆者が紹介する次のエピソードも、静かな抑圧的社会の中で、どんな声が流通しどんな声が流通しなくなるかがわかる面白いエピソードです。

日常的に取材対象者からの「ここはできれば削除してほしい」といった要望を聞いているとそれはほんとうによく感じる。そして、見せたがるポイントというのは、どちらかといえば、世間の人と横並びの要素を満たして「自分は一人前です」「よその同業者と比べて同水準に達しています」という守りのほうを重要視したところであったりする。(p.209)

実際にインタビューをやってみないとわからないことも多いと思いますが、この本を読むだけでも今までと違う視点でインタビューを捉えることができると思います。

近況報告(2019年1月下旬-3月上旬)

f:id:tsubosh:20190223214735j:plain

なかなか、本を読む気力、記事を書く気力がわかないです。

最近、やったこととして特筆すべきことは、猫町倶楽部さんの『エチカ』読書会に初めて参加したことぐらいです。こういう読書会に参加しないと、なかなか本を読むことがなくなっています…。お恥ずかしながら、スピノザの『エチカ』を通読したのは今回が初めてでした。かなり端折って読んだところもあり、時間をとってもう少し緻密に読んでみたいと思いましたが、そんな読書の中でもスピノザが真の意味で<能動的に生きる>ということを考えようとしているのは伝わってきました。また、講師の方(國分さん)に直接質問できる機会もあったのはよい機会でした。

上の画像は2月末に食べた草餅と桜餅です。私は幼い頃、あんこが苦手だったのですが、大変おいしく食べました。味覚は変わるものです。

近況報告(2019年1月)

f:id:tsubosh:20190103130237j:plain

1月は職場と自宅の往復に埋没していました。デジタルガジェット買い替え第2弾をやったのですが、結構散財しました。私はガラケータブレットの2台持ちだったのですが、ガラケーをやめiphoneにしました。あわせて、アップルウォッチも試してみることにしました。モノを買うだけでは意味がないので、使いこなしたいと思います。

気分にムラがあるのかあまり記事を書きたくない時期があります。最近、Youtuberと言われている人たちの動画を時々見ているのですが、毎日動画をアップしている人もいてすごいなと思います。ちなみに私がよく見ているチャンネルは、企画ものよりは淡々と日常を映すような動画です(↓に一例をあげておきますね。昨年の7月の動画です。)。ジャーナリズムとは、そもそも「日々の記録」という意味です。Youtubeがノンフィクションの領域にどのような影響を与えるのかなと関心を持っています。


【家呑み雑談】小さな幸せの大切さ

ちなみに写真は帰省から戻るときに撮った富士山です。風邪やインフルが流行っています。私も軽い風邪にかかってしまいました。体調には気を付けましょう。

狼煙を見よ

ノンフィクションマラソン35冊目は『狼煙を見よ』です。

 この本は、東アジア反日武装戦線「狼」のリーダーであった大道寺将司を追ったノンフィクションです。東アジア反日武装戦線「狼」は、北海道や沖縄も含めた東アジアへの日本(ヤマト)の植民地責任(「おとしまえ」)を問いました。そのための手段が爆弾闘争だったのですが、これにより多くの死者が出てしまいます(三菱重工爆破事件)。松下竜一は、大道寺達の思想に共感を寄せつつも、彼らの行為の責任(「おとしまえ」)がいかにあるべきかについて悩みます。

この本は、感想がなかなかまとまらない本です。分かる箇所と分からない箇所が混在しているのです。率直にいえば、彼らの思想には正当な部分があると思います。また、かなり丁寧に彼らの人となり、誠実さや迷いが書かれています。しかし、肝心の爆弾闘争については、何故その方向性に向かうのかが、今の私の実感としてよく分かりませんでした。私が手に取ったのは昨年刊行された河出書房新社版ですが、その帯に森達也が「個のままで悶える松下竜一が屹立する」と書いています。彼が私と同じような読み方をしたかは分かりませんが、私は理解可能な点と理解できない点との間でねじれるような読書をしました。