ルート181

金沢に行ったことは先日書きましたが、その際に見た映画が「亀も空を飛ぶ」と「ルート181」でした。

ルート181」(ミシェル・クレイフィ/エイアル・シヴァン)

国連パレスチナ分割案(181決議)の境界線を北上するロードムービードキュメンタリー映画でした。正直、国際法に違反した刃の長さを持つ有刺鉄線が、紛争の激化で売れて仕様がないとうれしそうに語るイスラエル人のおっさんとか、アラブ人たちを追い払えと平然と語るおばはんを見ると、つらいなと感じてしまいます。映画自体として、しんどくはないんですが、シオニズムの誤った側面を延々と見せられるという点で同じようなシーンが続く映画であるとも感じました。

季刊前夜別冊 ルート181』(影書房)は、この映画のためのブックレットですが、非常に面白かったです。この本を読むとミシェル・クレイフィはドキュメンタリーではなく、劇映画を撮った方が面白いような気がします。下の発言にも共感しました。

「『豊穣な記憶』から今日まで、(・・・)<つねに私の念頭を去らなかった考えは、人間は、人間の生は、たくさんの逆説の上になりたっていることです。人間が生まれ、生きるのは死んでいくためです。信じがたい逆説です。革命をしようとするのも、最終的には権力を打ち立てるためです。親元を離れるのは家庭を作るためです。人間の存在にはいつもこうした逆説的二重性がつきまといます。(・・・)私の最初の映画『豊穣な記憶』で考察しようとしたのは、いかにして犠牲者が加害者に転化するかということです」(p.72)

社会的なことを語ることが人間の本質を照らし、人間の本質を問うことが社会的な視野を広げる、そんな表現が僕の目標です。(えらい大げさなこと書いてしまった。。。)