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ポストモダンの条件

ポストモダンの条件』(J-F・リオタール著 水声社)を読みました。

この本は、思想界ではいわくつきの本です。理性なり自由なりといった「大きな物語」は消滅した。「大きな物語」=イデオロギーの終焉以後、私たちは小さな物語=ローカルな物語の時代に生きるしかない。こんな形で喧伝されてきたこの本、「まだ大きな物語は終焉していない、市場原理という大きな物語があるのではないか」とか、「ローカルな物語は一歩間違えば民族的原理主義よね」という批判をそこかしこで聞いていてそうなんだと思って読んでみると、どっこい、全然違いました。

リオタールは何とかしてこの市場経済一元化に対抗しようと、かなり真摯で誠実な対応をしているのではないかとの感想を持ちました。

1979年の段階で、情報化社会について、これだけ正確な見取り図を描けたのは、かなりすごい。たとえば、教育のなかで、いずれ学生にコンピューターを教える状況となるだろうとの予言のあと、

「いずれにせよ、学生たちに教えなければならないことがあるからである。それは内容でなく、端末機の使用法、すなわち新しい言語の使用法であり、それとともに、質問という言語ゲームのより洗練された取り扱い方である。つまり、どこに質問を差しむけるべきか、(・・・)あるいは誤解を避けるためにはどのように質問しなければならないか、などといったことを学生は学ばなければならないのだ。」(p.127)

とありますが、現在の検索サイトのことを考えると、この分析が正しかったことがわかります。

市場原理とタイアップした情報一元主義を逃れるものとして、その内部にとどまりつつも、別様のロジックを対抗的に出していく戦略は、何も情報化社会について学ばず、人文学内部の閉域にとどまる態度より、ずっと<真摯>な態度と思えてしまいました。