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公共性の構造転換(2)

再び実家に帰りくつろぐ。年末年始に以前の続きを読みました。ただ、後半30ページくらいまでで、あまりの抽象性のため頓挫。

後半部分のポイントは下記の2つかと。

自由主義時代では「国家」と「市民的公共性」との間には明確な境界線があったが、19世紀以後明確な境界線が存在しなくなった。というのも、資本主義が独占段階に入ると、国家が、市民社会に入り込んでいく割合が大きくなり、自由主義国家から福祉国家へと変貌を遂げることになる。議会による議論よりも、行政機関の管理・計画・配分の問題がクローズアップされることになったからである。

●また政治的公共性の基盤となった文芸的公共圏も崩壊する。文芸的公共圏はブルジョワ家庭の読書活動を基盤としていたが、私生活より、「教養」的観点が消え、「消費」の面が拡大する。その流れに伴い、文学的な空間の力が薄れ、ジャーナリズムとプロパガンダに席を譲ることになる。

でどうしたらよいの?は特にわからず。

実はハーバーマスの狙いはよくわかるんだな。それはこの社会で、普通の人間が、自分の頭で考えて生きていくことはどうしたら可能かということを考えていると思うので。ただ文章、難しすぎるよ。これでは伝わらない。