Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

7月第2週;ディア・ドクター

本当にひょんなきっかけで「ディア・ドクター」を見ました。

http://deardoctor.jp/

感想は本当に素晴らしかった。とにかく脚本がうまい。役者の配置がうまい。更にいろいろなことを考えさせられました。

この映画には様々なテーマがあります。そのなかでいちばん引き寄せられたテーマが「ホンモノとはなんぞや」ということです。

鶴瓶が演じる医師は、無免許の医師で、無医村の田舎で雇われ医者をしています。専門家にないようなきめこまな心配りと人なつっこさで村人から慕われています。

この様子を見た観客は、別に医者という免許がなくても、誰でも「機能」としての医者は十分務まるのではないか、逆に専門の医者などよりよっぽど無免許の方がよいのではないか、と一瞬、錯覚を起こしてしまいます。

しかし本当の本当の土壇場で、ニセモノはその限界を露呈してしまいます。「先生、うちの母をお願いします」と、専門の医師(井川遥)から、ガンを病んでいる母を頼まれた時、あまりの責任の重さに彼は逃げ出してしまうのです。

とはいえ免許を持っている医者だからといって死に対し明確な答えを持っているわけではありません。「あの人(無免許の医師)ならばどういう死の看取り方をしたのだろうか」と彼女(井川)は呟くのです。

ホンモノの医者をめぐる揺らぎは、鶴瓶と研修医(瑛太)の会話でもわかります。

瑛太鶴瓶に向ってあなたの姿を見て医者とは何かがわかったといいます。鶴瓶が自分が本当は偽医者だと反論します。瑛太は逆に「本物の医者とはなにか、あなたのような人なのではないか」と問い返すのです。しかし鶴瓶はそれは違うのだと激しく拒絶をしてしまいます。

専門性が重んじられるこのご時世、専門性が、チェックシートに入っている項目をこなせば身につけられるものでなく、悩みやとまどいを含んだものなのだということが、画面から滲みだしてきていました。