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(月3回以上更新目標)

京都文化博物館(アイヌ展・カルタゴ展)、そして体験的博物館の見方


先月、今月と、京都文化博物館へ行ってきました。

見てきたのは、アイヌ展(先月)とカルタゴ展(今日)です。
○「アイヌの美 カムイと創造する世界」
○「古代カルタゴとローマ展 きらめく地中海文明の至宝」

美術館にせよ、博物館にせよ、昔は「つまらないな」という感想を持っていました。学生時代も、えいやっと、出かけてはみるものの、なかなか興味が長続きしないままでした。

最近、博物館ではこう展示を見ていけばいいのかのかな、と以下に書くようにつらつら考えながら、展示を見るようになっています。コツは四点くらいあるのかなと思います。

[其の壱]1点、1点の出品物に拘泥するなかれ
博物館に展示されている博物館に展示されているものは、現実の一部を切り取った断片にしか過ぎないものです。当たり前のことかもしれませんが、これは大事なことだと考えています。常に個別の出品物の裏側の文化を意識する必要があるのです。

[其の弐]展示にもパターンがある。文化にパターンがある
何事も場数と慣れが大事です。博物館でもそうです。何度も足を通っていると、展示にある種のパターンがあることがわかってきます。特別展と呼ばれるものは、はじめに観客の気を引くものが展示され、そのあと小物類が続き、エース級の展示物で締めるパターンがほとんどです。パターンがあるといえば、紹介される文化もしかりです。衣食住から始まり、祭儀や装飾に至るまで、各種文化の表現形態は異なるものの、生活の肝、展示で紹介されるポイントは、奇妙なほど各種文化について共通性があります。共通性が認識できれば、一層、各種文化の異質性が認識できるようになります。

[其の参]あえて「国」を離れて見てみる
アイヌ展に行った際には、モンゴルに似ていると感じました。本日行ったカルタゴ展では、先週行った鳥羽を思い出しました。(→学術的にはむちゃな話ですが…)文化を国境で区切ることはできません。ここも面白さかと。

[其の四]結局、何のために博物館は何の役に立つのか
産業遺跡などの例外はあるのですが、博物館は前近代の暮らしを知るための有効なツールだと、私は考えています。博物館を面白いと思うかどうかは、前近代という時代の評価と関係するかもと、私は考えています。前近代を桎梏とだけ見る観点では、博物館はつまらないものでしょう。