人生タクシー

 『人生タクシー』(ジャファル・パナヒ監督)を見ました。

 反体制的な活動のため20年間の映画製作を禁じられたイランのパナヒ監督。彼の『これは映画ではない』は、その環境を逆手に取り、「脚本を読んだり動画を撮影したりするだけでは映画製作にならないのではないか」というコンセプトの下、「映画が映画であることはどういうことか」という根本的な問題に取り組んだ知的興奮に満ちた映画でした。


ジャファール・パナヒ監督『これは映画ではない』予告編

 『これは映画ではない』の出来があまりに良かったために、『人生タクシー』には大変期待していました。様々な映画紹介によれば、パナヒ監督自身がタクシードライバーとなり、様々な人をタクシーを乗せ、現在のテヘランの市民生活を見せる映画ということでした。一種のフェイクドキュメンタリーとなのかなと思い、劇場(新宿武蔵野館)に足を運びました。


ジャファル・パナヒ監督作!映画『人生タクシー』予告編

 以下、内容的に正確ではないかもしれませんが、印象に残ったことを書きます。

 上映開始後約30分間は、タクシーの中で男性客と女性客が死刑制度について論争を始めたり、急病人が担ぎこまれたりと様々な出来事が起こるのですが、正直つまらない展開が続きました。どう考えてもヤラセとしか思えない映像で、フェイクドキュメンタリーとしても出来があまりに悪いのです。パナヒどうしたんだ、と思ったのですが、彼の姪っ子(小学生)が登場し、突然、映画が加速し始めます。
 姪っ子は、学校で映像を撮る宿題が出た、いろいろ変な(政治的・宗教的)制限があって自分が撮った映画を上映することができなくなった、とパナヒに言います。パナヒは姪っ子にどんな映像を撮ったのか聞いたところ、(姪っ子の)姉に求婚しにきたアフガニスタン人がいたが自分の家では取り合わなかった、あまりにしつこいので親戚がその人を袋叩きにした、その一部始終を撮影したのだと、とんでもないことを言います。イランでなくても、倫理的にそのような映像を上映することは難しいでしょう。小学校が上映をやめたのも理にかなっています。

 さらに、姪っ子は、パナヒ監督が車から離れている間に、路上の少年をデジタルカメラで撮影し始めます。結婚式のカップルが落としたお金を拾った少年に、そのお金をカップルに返してほしい、美談となるからそれを撮影したいと持ち掛けます。ヤラセの提案です。少年は断り、姪っ子は失望するのですが、そのシーンの後にパナヒが車に戻ってきます。「ヤラセの提案がなされたことを(少なくとも撮影時は)監督が知らない」というヤラセであるというメタ的な構造を持つ映像をとおして、映り込み映像といわれるものでも意図的なものがあるのだ、という監督のメッセージを感じてしまいます。

 『これは映画ではない』のテーマが「映画が映画であることはどういうことか」であったのに対し、『人生タクシー』のテーマは、映画という枠組を超え、「映像を見る/見せることはどういことか」というものだと私は考えています。

 現在は映像があふれている時代です。『人生タクシー』のなかでも、タクシー内の固定カメラ、パナヒのスマートフォン、姪っ子のデジタルカメラ、刑務所のカメラに至るまで様々な撮影機器が登場します。映画の中でもそれらの機器で撮影した映像が幾度となく挿入されます。そして、誰もが撮影した映像をインターネット上に公開できる時代でもあります。『人生タクシー』は、イランの検閲制度という社会制度の批判をとおして、「映像を見せることはどういうことか」という現代的で本質的な問いにまで至る知的刺激に満ちた作品だと感じました。