皆はこう呼んだ 鋼鉄ジーグ

週末に『皆はこう呼んだ 鋼鉄ジーグ』を見ました。


『皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ』予告編

期待していたより遥かに良い映画でした。よくわからないけど、紛れもない傑作だという確信があります。本作がアメコミヒーロー物と違うということはは色々なレビューでも指摘されています。ただ、具体的にどう違うのか、違うとしたらどこの点かをずっと考えていました。色々なレビューを見るうちに、次のレビューにぶつかりました。

皆はこう呼んだ、鋼鉄ジーグ | seimu.net

この批評を見るうち、両者の違いがおぼろげながらに分かってきました。アメコミもののヒーローは、人々の代わりに自分が犠牲になったり、逆に人々を導いたりすることが多い気がするのですが、人々と「共にあろう」とすることはあまりないかもしれないと。

 以前も書いたとおり、私は、アメコミ物流行のきっかけとなった『ダークナイト』は徹頭徹尾反民主的な映画だと考えています。

『皆はこう読んだ 鋼鉄ジーグ』では、ラストの終わり方や、主人公がスクーターに乗ってスタジアムに行くシーンなど、『ダークナイト』を意識しているシーンが散見されます。ただ、『ダークナイト』とは異なり、バットマンしか乗ることのできないバットモービルではなく、他の人(警察?)が乗っていたバイクを借り、スタジアムに向かうのです。また、この映画は、とても上手く街の風景をカメラに収めています。

友人がこの作品の隠れたテーマが「孤独」であると言っていて、話を聞いた当初よくわからなかったのですが、なんとなく見えてきました。人々と共にあることは大概にして煩わしく、英雄でない私達でも難しいものです。主人公は、力を得、喪失を抱え込む中で、人々と「共にあろう」と決断したのではないでしょうか。