やちまた

 

 本居春庭の伝をしるしたいと思ったのは、もう四十年近くも昔の学生のことである。わたしは少なくない資料を手さぐりで読みながら、松阪をはじめ関係地をたずね歩き、先学の教えを乞うて回った。そうした記録を綴って同人誌「天秤」に昭和四十三年一月から連載しはじめたが、その結果は「春庭考証のきわめて私的な記録」とでもいう文章になってしまった。しかし、その時分のわたしにはこういう形式、方法でしか書けなかった。一つには、春庭を模索してゆくうちに、春庭はことばを多岐にわかれてはつながっていく「やちまた」にたとえたけれど、人生もまたそれにひとしいという実感が深まったからである。(下巻 河出書房新社版の「帯」より、以下の引用は全て河出書房新社版から)

ある方からノンフィクションを考えるとき参考にしたらよいと言われた本です。その時から既に7年も経ってしまいました。記載されている情報量が半端なく、一度読んだときは途中で挫折していました。今回も、読むのがしんどい箇所を飛ばし飛ばし読んだため、どこまで理解できているか心もとないのですが、途中から興奮して読み進めました。

この本は、本居宣長の息子で、病により盲目となった本居春庭の評伝です。それと同時に、本居春庭の人生に惹かれ追い続けた作者足立巻一の自伝でもあります。このように自伝・評伝ではあるのですが、国語学説についてもこの本の中ではかなり詳細に言及されています。知識面で一歩も退かない意思を感じます。また、たくさんの本居春庭の関係者、関係先(伊勢・松阪市名古屋市など)が紹介され、筆者は何度も実際に足を運んでいます。「構想40年」の重みを感じます。

ここでは印象に残った3点について述べます。

  • 和歌の重要性

本居宣長には国学者、いわゆる"右"の思想家という短絡的なイメージがあったのですが、この本を読みイメージが変わりました。島崎藤村『夜明け前』に言及しつつ、筆者は本居宣長平田篤胤との違いについて次のように述べています。

それに、篤胤には和歌、つまり文学、ことばに対する興味が欠けていたと思われる。だから、宣長を白痴と思われるほど景仰しながら、憧憬を集中させたのはその古道説でしかなかった。これはもともとことばに関する感覚を持たなかったかもしれない。(…)篤胤には語学などは関心のそとにあり、ひたすら主観的な神学だけをつくりあげていった。(上巻 pp.376-377) 

 この本を読むと多くの和歌が引用されています。日本語の鍛錬として、また「もののあはれ」を感得するためにも、和歌は重要な位置づけだったとされています。現在、和歌を詠む人はそれほど多くないと思いますし、かくいう私自身も詠みません。が、この本を読むと、江戸時代、和歌がいかに重要な表現形式だったことがよくわかります。

  • 動詞の活用と”語法”論

本居春庭は、父、本居宣長の学問のうち、語学の側面を受け継ぎました。いにしえの人々の心を理解するためには、その当時の人々の言葉を理解しなければならない、そして当時の人々の言葉の規則を理解し正しい言葉遣いをしなければならない、こう春庭は考えたとのことです。「詞の通路」では自動詞と他動詞の違いについての、「詞の八衢」は動詞の活用についての書らしいのですが、春庭は動詞の接続関係に中心をおいて言語を考えています。

ことばの本質は意味にあるのではなくて語法にあり、その語法によってのみ人間の伝統は受けつがれていくというのが春庭の言語哲学だったと思われる。(…)語法が定まっている理由はあるはずだが、それはつたない人の心ではかり知ることができない、と書いたことの裏には「語法が定まっている理由」まで思索していたと思われる。(下巻 p.5)

中学校、高等学校で、「五段活用」などを勉強したと思うのですが、そもそもなぜ活用が問題となるのかはまったく考えたこともなかったです。このような言語観が裏にあったのだと興味深いものがあります。

  • ファクト・ファインディングの手法

この本の面白さは、春庭の評伝でもあり、作者の自伝でもある点です。なぜ春庭に惹かれるのかが作者自身もはじめはわかっていません。ただ、春庭の生涯について追いかける作業が、そのまま作者の人生と二重写しとなり、時間の「発酵作用」というようなものがページが進むにつれて顕著に出てきます。作者は、青春時代に伊勢市神宮皇學館で過ごすのですが、その高精細な描写自体が一つの貴重なドキュメントになっています。そして、不思議なことに、私自身も伊勢や松阪の地を訪れたいと思ってしまうのです。

まだわからない点、読めていない点も多いので、時間を置いて再読したいと思います。足立さんの本は、他の本もこのシリーズで扱うつもうです。