三歩後退一歩前進(その2)

大学の授業に付いていけなかった理由は、予備校文化に自分が浸かっていたからかもしれないということを前回書きました。前回の記事を書いた後、色々考えていたのですが、受験勉強文化に浸かっていたといった方がより適切かもしれないと思い直しました。

大学入学当初、戸惑ったのは本が読めないということです。笑われるかもしれませんが、3回生くらいまで新書を1冊読み通すこともできませんでした。1冊読み通しても、字が自分の目を通り過ぎていくだけというか、焦点が合わない感じがずっとしていました。これは、高校時代に長い文章を読む訓練を積んできていなかったからだと考えています。受験国語では、だいたい1~2頁の文章を読み、問題に回答するのが標準だと思います。小論文でも長くて5~6頁でしょう。問題を解くために、短い文章の内部分析を細かく行うことになります。しかし1冊の本を読むということは、息の長い作業です。長い文章も短い文章も、同様に構造を読み解く作業であるのですが、注意の向け方というか、集中の仕方が異なります。水泳で5メートルを息つぎなしで泳ぐことと、25メートル息つぎありで泳ぐことの間に壁があるのに似ています。私の場合は、3回生くらいで何となく本を読む感覚がつかめてきました。

本を読むことができなかった他の理由として、その本を読むには時期が熟していなかったという面もあります。背伸びをするのは決して悪いことではないのですが、ミスマッチが過ぎると苦手意識を持ってしまい逆効果になります。更に悪いことに、私が興味を持ったのは、フランス現代思想という悪文で有名な分野で、ミスマッチの度合が更に深まりました。ただ、その効用として、少々の悪文では驚かなくなりましたが、それが良いことだったかどうかはわかりません。

私の乏しい経験から、高校までの受験勉強から大学向けの勉強へと転換する大学内でできる手当として、新書を1週間に1冊読む読書会形式の基礎ゼミをやったらよいのではないかと考えています。(ただ学生さんに新書代の負担は生じてしまいますね…。)専門書ではなく、必ず新書とし、極力、学力的なミスマッチをなくします。複数の教員が参加し、各自の専門の観点からコメントしたら、更に面白いと思います。岩波ジュニア新書やちくまプリマー新書から始め、岩波新書中公新書に終わる流れで、内容を紹介することが主眼でなく、ともかく本1冊読む「体力」をつけるのが目標です。

少し脱線してしまい、思わぬ提案をしてしまいました。教育の実務に携わっている方からは何、地に足を着いていないことを言っているんだと思われるかもしれません。あくまで思いつきということで。次回に、今回触れるはずだった、私が浸かっていた予備校文化に触れたいと思います。