三歩後退一歩前進(その4)

随分と若い友人に「デリバリーお姉さんNEO」というドラマが面白いと紹介されていたのを思い出し、Gyaoで見てみました。無料放送されていた第1話と第3話を見たのですが、第3話にちょっと考え込んでしまいました。私は、今では太ってコロコロしていますが、昔は痩せていて片思い体質でした。考え込んでしまったのは、今では埋もれてしまったその気質を刺激されたからです。

フランツ・カフカに「掟の前で」という短編があります。短いので未読の方は、まずは読んでください。

カフカ『掟を前に』(森本誠一さんのHPから)

この話を初めて読んだのは、高校生の頃だったと思います。正直、よくわからないなというのが当時の感想でした。ところが、30代半ばのある頃、突然、この短編が実感できるようになりました、「そうだ、この短編に描かれていることは、片思いと後悔の構造なのだ」と。

話を飛ばし過ぎました。何故そう読めるか、話の筋に即しながら説明します。話の筋は、次のようにとてもシンプルです。

田舎から人がやってきて、掟の前の門を通過しようとします。すると、門の前に門番がいて、今はまだ入れることはできない、入れるようになったら入れてやる、と言います。田舎の人は、いろいろ試行錯誤しますが、全く甲斐なく、死を迎えます。死の直前、田舎の人は、門番に素朴な疑問をぶつけます、誰もが掟を求めるはずなのに私以外なぜここに来なかったのかと。すると、門番は、なぜならこの門はお前だけのための門だったからのだ、と言い門を閉めます。

田舎の人はどうすべきだったのでしょうか。私は、無理やりでも門を突破すべきだったと思います。田舎の人に必要だったのは懐柔することではなく決断することだったと思うのです。決断しなかった人間には後悔が襲います。その後悔は、私こそが(掟を知る)資格があった人間だったかもしれない、という痛覚を引き起こします。その認識が真だったかどうかは、今となっては、決してわからないのですが。

昨年、大ヒットした映画に「君の名」はという映画があります。この映画は主題歌が「前前前世」であるように「運命の出会い」をテーマとしていますが、「掟の前で」は「『運命の出会い』への出会い損ね」をテーマとしているといえるかもしれません。この「運命の出会い」に出会い損ねた者の後日譚、それこそが「デリバリー姉さんNEO」第3話のテーマだと思うのです。2017年8月5日時点では、Gyaoで無料放送しているので、見られる方は見てください。

gyao.yahoo.co.jp

ドラマの中の表現を使えば、「デリバリーお姉さん」第3話は「青春も赤面するほどの恥ずかしさ」あふれる話です。プロポーズを控えた依頼人が、高校3年夏のぐだぐだになってしまった告白が心のわだかまりになっているので、きちんと振られたい、そのため、告白場面を完全再現してほしい、と便利屋に相談に来ます。エリー(便利屋のメンバー)が告白相手役を務め、依頼人は過去の告白を完全再現し、きちんと振られることで目的を達成します。そこで、奇妙なことが起こります。告白相手役のエリーが、再現劇とわかっていても、依頼人に恋心を抱いてしまうのです。

「掟の前で」に引きつけていうならば、門をくぐれなかった人がその場面を全身全霊で演じるのです。その光景はかなり滑稽でしょう(「デリバリーお姉さん」第3話も、私は、はじめ大爆笑していました。)。しかし、その劇が別の人に密かな影響を与える光景が、緻密なプロットに従って描かれるのです。

この誤配の構造を、その名も「青春ゾンビ」さんが熱量をもって、次のブログで紹介しています。

hiko1985.hatenablog.com

私は、このエントリでは「掟」を「幸福」の意味に理解しましたが、「掟」を「理想」と解しても、同様の後悔の構造として読み取れると思います。「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」ことが、私のオプセッションとして取りついており、これをなんとか成仏させたいと思っています。1995年あたりの話をする前に、このオプセッションについて先に語らないといけませんでした。