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【ロング書評】ジャック・デリダ『アーカイヴの病』を読む(前篇)

1.はじめに

 この記事(前編・後編)は、ジャック・デリダ『アーカイヴの病』の少し長い書評(紹介)である。

  私は学生時代にフランス現代思想を少しだけかじったが、デリダの著作から一般理論を抽出しようとしても生産性がないと考えてきた。デリダは思想家というよりは批評家であり、具体的な著作や芸術作品の批評を行うときにこそ本領を発揮すると考えてきたのだ。『アーカイヴの病』もその面がある。この著作から「アーカイヴ理論」を導きだそうとしても無理があり、デリダの読みを追体験する読みが一番面白いと考えている。この本で主に批評され批判の俎上にあがる作品は、ヨセフ・ハイーム・イェルシャルミ『フロイトモーセ』である。

フロイトのモーセ――終わりのあるユダヤ教と終わりのないユダヤ教

フロイトのモーセ――終わりのあるユダヤ教と終わりのないユダヤ教

 

 『フロイトモーセ』は、ジグムント・フロイトが『モーセ一神教』を執筆する過程でユダヤ教ユダヤ文化がどのような影響を与えたかを論じた歴史書である。

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

モーセと一神教 (ちくま学芸文庫)

 

 『アーカイヴの病』は『フロイトモーセ』に対する批評的作品であり、『フロイトモーセ』は『モーセ一神教』に関する歴史書である。更には『アーカイヴの病』のなかで、何度も『モーセ一神教』を含めたフロイトの著作が直接言及されている。批評対象が入れ子になったり、半ば意図的に違うレベルの話がされたりするため、難解さが一層増すことになる。

 加えて『アーカイヴの病』は、そもそも何が問題となっているかわかりづらい本でもある。その傾向は、デリダに限らずフランス現代思想全般に該当する。フランス現代思想を考える際に、私が手がかりとしている考え方がある。それは、フランス現代思想はフランス戦後思想であるということである。鈴木正は、ある記事で三浦信孝の次の発言を紹介している。

 三浦信孝は巻頭で、この主題(tsubosh注:日仏の戦後思想の比較)をなぜ問うのかの答として「日本の八〇年代の『現代思想』にインスピレーションを与えたのは、実はフランス『戦後思想』だった。言い換えれば、日本の『戦後思想』を支えた知識人たちはフランスの『ポスト近代』の思想家たちと同世代である」と裏側をみている。

dokushojin.com

アルジェリア生まれのデリダは、1930年の生まれである。第二次世界大戦を最も多感な時代に経験している。日本では80年代の消費社会に乗って登場したフランス現代思想も根は戦争にあるのだ。

 本記事では、『アーカイヴの病』読解に必要な範囲で『モーセ一神教』『フロイトモーセ』の議論をまとめた後(前編)、『アーカイヴの病』の議論を紹介し議論の射程について考えたことを述べていきたい(後編)。

 

2.『モーセ一神教』『フロイトモーセ

(1)『モーセ一神教(この箇所は誤りがある点があると思われるためリライト予定です。)

 『モーセ一神教』はフロイト最後の作品である。フロイトがこの作品を執筆当時、ドイツではナチスが政権を握り、ユダヤ人差別が激しさを増していた。フロイトは、ユダヤ人差別の激しさに直面し、自らのユダヤ性、ユダヤ人差別について思考するよう迫られていく。

 差別は被差別者側に原因はなく差別者の方に原因があるというのが、現在の常識的考え方だ。例えば、サルトルは、ユダヤ人問題とは、ユダヤ人の問題ではなくユダヤ人差別を行っている者達の問題だと断じた。しかしフロイトは、ユダヤ人が差別されるのは、逆にユダヤ人の特殊性、「ユダヤ性」故であると考えた。

 フロイトは独自の歴史研究を通じて、ユダヤ教キリスト教の誕生を次のように推測する。まず原始時代のある時点で多神教のなかで一神教を唱えた<原父>がいたはずである。しかし他の神を認めない一神教の過酷さに耐えきれなくなった者たちが<原父>を殺害した。その殺害の記憶は、良心の呵責とともに集団的無意識のなかに封じこまれることになった。このようなことが幾度も繰り返されたのち、エジプトでイクナートンという王が出て一神教を再興しようとした。しかし最終的に再興することができず、エジプトはまた多神教に戻ることになった。そのとき、一神教を信奉していた、高貴な身分の「エジプト人モーセが、当時エジプトで被抑圧民族であったユダヤ人を「選び」、彼らに「割礼」を施した上、ともにパレスティナに渡った。モーセはそこで神の似姿を禁じるなど感覚より知性を重視した精神性の高いモーセ教を展開したが、厳しすぎる戒律に反発するユダヤ人たちに殺害された。そしてその殺害の記憶も抑圧・忘却されたが、一部のユダヤ人たちは道徳的に厳格なモーセ教を守りつづけ、最終的にはパレスティナ一帯がユダヤ教を信ずるようになった。時代が下り、ユダヤ教徒のなかからイエス・キリストが現れた。教えを広めた彼も、しかしながら殺害されてしまう。その後、パウロが出てイエス・キリストが人々の罪を背負って殺されたのだと主張し、キリスト教が誕生した。

 この記述から確認できるのは、<原父>-<モーセ>-<キリスト>と、共同体における父親的存在の殺害が反復していることである。(他のフロイトの著作では『トーテムとタブー』でも同様の父殺しの図式が見られる。)あたかも抑圧・忘却されていた殺害の記憶が、規則的に回帰するかのようである。この点ではユダヤ教キリスト教も構造的には同一であると言えよう。しかし両者には差異がある。パウロはキリストの殺害に特殊な意味づけ(贖罪)を与えることで、キリスト教信者に罪の意識から解放させることに成功した、とフロイトは考える。罪の意識から解放されることで、キリスト教は形式的には一神教だが(堕落し)実質的に多神教化することになった。それに対しユダヤ教徒キリスト教の説明を拒絶し、良心の呵責を手放すことはなく、厳格な一神教に留まった。これはモーセの固有の教えの精神的卓越性による面も多い、とフロイトは考える。ただキリスト教徒からは、ユダヤ教徒は無意識的に罪(父の殺害)を認めていないとされ、異端扱いされることになる。これがキリスト教徒によるユダヤ人差別の隠れた理由である、とフロイトは考えたのだ。

(2)『フロイトモーセ

 上記要約からもわかるように、『モーセ一神教』の記述には、常識的には理解困難な記述が多々ある。またフロイトの歴史解釈の実証的誤りが多くの歴史家から指摘され、また当のユダヤ人からもユダヤ人を攻撃するものとして同書を非難する者が出てきた。

 イェルシャルミは、その歴史的解釈の誤りにも関わらず『モーセ一神教』には尽きせぬ魅力があるとして、フロイト個人のアーカイヴから様々な資料をピックアップし同書の成立過程を解明しようとする。ただ、彼は精神分析的概念を極力使用せず、歴史学ディシプリンに則って歴史解釈を行おうとする。個人レベルでは外傷的記憶(印象)が抑圧・忘却され思いもかけない時に回帰することがあるかもしれない、しかし個人的無意識と集合的無意識(心性)の差は大きい、とイェルシャルミは主張する。「原父殺し」、「忘却され抑圧された記憶」、「忘却された記憶が反復的に回帰する」という精神分析的概念は、個人には適用できても社会には適用できない、集団のなかで忘却された記憶が回帰することはありえず、誰かが忘却せずに記録し後世に伝達しただけである、と主張する。

 イェルシャルミは、同書でフロイトが『モーセ一神教』を執筆中、少なくとも執筆後には明確に自らのユダヤ性を重視するに至った、と主張する。フロイトは公的にユダヤ教精神分析を結びつけることはなかった。彼は科学の一般性、普遍性を重視しており、また精神分析自体をユダヤ人差別から守る必要性から、精神分析ユダヤ教を結びつける言説には慎重であった。イェルシャルミはフロイトの私信などを解読し、公的発言とは異なり、彼はユダヤ文化の影響を多大に受け、またユダヤ性を肯定していたという説を唱えたのだ。『フロイトモーセ』で力点を置かれて紹介されるエピソードに、フロイトの35歳の誕生日に父ヤーコプがフロイトに贈った旧約聖書のエピソードがある。フロイトが幼い時、父が彼に聖書を贈った。その聖書はずっと父の手許にあり埃をかぶっている状態だったが、父が新たな皮で装丁しなおし、その上にヘブライ語聖書やラビ文学等の引用で献辞を書き、フロイトに再び贈り返した。このエピソードから、フロイトが自身の発言とは異なりヘブライ語が読めたこと、またユダヤ教に通じていたことがわかる、とイェルシャルミは推測する。歴史学的な検討を通じ、フロイト及びそのアーカイヴ、更には精神分析自体をユダヤ性という観点からイェルシャルミは意味づけたのだ。

(後編へ)

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