敵対する思想の自由

ノンフィクションマラソン11冊目は、『敵対する思想の自由』です。

敵対する思想の自由: アメリカ最高裁判事と修正第一条の物語

敵対する思想の自由: アメリカ最高裁判事と修正第一条の物語

原題は、"Freedom of the Thought that We hate -A bibliography of the First Amendement" (『我々が忌み嫌う思想の自由 修正第1条の物語』)です。

この本は、ニューヨーク・タイムズ紙のコラムニストをしていたアンソニー・ルイスが、アメリカ合衆国修正第1条が裁判官にどのように解釈されてきたのかという歴史を追った本です。

この本を読むと、アメリカのノンフィクションと言論の自由に関する法制度とが密接な関係にあることがわかります。

この本では、報道機関と政府との間で言論の自由が問題化する事例が多数紹介されています。そのなかでも核となる判例に、ニューヨーク・タイムズサリヴァン事件があります。

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師は、プレス(新聞・雑誌)が黒人差別の現実を取り上げることが世論の喚起につながるとして、公民権運動を行う際、メディア戦略を重視しました。1960年3月29日にニューヨーク・タイムズ紙は、キング牧師の支援者による1頁の意見広告を載せます。そこには、南部で公民権活動家を公務員が不当に弾圧していることが書かれていました。それに対し、当の南部の公務員(サリヴァン)が「文書による名誉棄損」でニューヨーク・タイムズを訴えたのです。

当時のアメリカの名誉毀損訴訟では、被告の側に挙証責任がありました。ニューヨーク・タイムズ社は、意見広告が全ての面で真実であるとは言えず、敗訴する可能性がありました。敗訴がもたらす帰結は、報道の萎縮です。

サリヴァン訴訟は、ニューヨーク・タイムズ社のみならず全米の報道機関に対しても、その法的リスクのために公民権運動の報道を行うことをためらわせる可能性があった。(…)この訴訟は、人種差別を全米に晒すというキング牧師の戦略自体を危うくしてしまった。最も根本的な点で、それは人々に知らしむるという修正第一条の目的をも脅かした。(p.73)

アメリカ合衆国最高裁判所は、修正第一条の中核的な意味として、「公的な人物や政策を批判する権利」があるとしました(なお、その結論を導き出した理路として、18世紀末から19世紀初頭にかけての「治安法」を巡る議論が紹介されています。)。その結果、名誉毀損訴訟に「勝訴するためには原告が虚偽を立証しなければならず、そればかりか、書き手や出版社の側に、単なるうっかりミスでなく、過失があったことまで立証」(p.77)しなければならなくなったのです。

合衆国でこの判決直後から見られた成果は、果てることのない名誉毀損訴訟という脅威から解放されたプレスが、南部における人種間の争いを徹底的に取材・報道する道を開いたことであった。(p.78)

更に、サリヴァン判決は、ヴェトナム戦争ウォーターゲート事件に関する報道を生む間接的要因になったのだとルイスは論じます。ただ報道機関による言論の自由が大幅に認められた反面、報道機関の特権性(裁判における情報源の秘匿)、報道機関によるプライバシー侵害の問題も出てきたのです。

この本は報道機関から見た言論の自由について手際よくまとめています。が、分析が若干表面的な感もありましまた。同じような論点で、アメリカの表現の自由を論じた以下の本を昔に読み、大変面白かったことを記憶しています。御興味あれば。

「表現の自由」を求めて―アメリカにおける権利獲得の軌跡

「表現の自由」を求めて―アメリカにおける権利獲得の軌跡

(参考)アメリカ合衆国憲法の修正第一条

連邦議会は、国教を樹立し、若しくは信教上の自由な行為を禁止する法律を制定してはならない。また、言論若しくは出版の自由、又は人民が平穏に集会し、また苦痛の救済を求めるため政府に請願する権利を侵す法律を制定してはならない。
(引用:https://ja.wikisource.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%90%88%E8%A1%86%E5%9B%BD%E6%86%B2%E6%B3%95