宇多田ヒカル論

少し時間があいてしまいましたが、ノンフィクションマラソン23冊目です。このペースで大丈夫なのでしょうか…。さらに「ノンフィクション」というものの境界もわからなくなってきていますが、今回はポピュラー音楽の批評本です。

宇多田ヒカル論 世界の無限と交わる歌
 

 通読して痛感したのは、詩を分析するのは難しいな、ということです。この本では、宇多田ヒカルの詩を、3つの軸、ultra(超越的なもの)・natural(内在的なもの)・fantome(亡霊的なもの)を通して分析します。率直に言って、個々の詩の分析が少し雑だなと思う面がありました。しかし、すごく面白い分析をしている箇所があったので、そこを紹介したいと思います。

本論に入る前に、少し脱線をします。

たまたまYoutubeで動画巡りをしていたら、元NMB48須藤凜々花さんが、あるTV番組の「俺の持論」というコーナーで「優しい嘘極悪論」を主張していました。彼女は、嘘には3種類あるといいます。「他人に対する嘘」、「自分に対する嘘」、そして「優しい嘘」です。他人に対する嘘は、私たちが普段「嘘」という言葉で考えているものです。自己に対する嘘は、自分の本心を押し殺してしまうような態度です。聞き慣れない「優しい嘘」とは、本当は不味い料理をおいしいと伝えるような、人を傷つけないようにする嘘だと彼女は言います。この「優しい嘘」が、一番問題のある嘘だと彼女は主張します。なぜなら、自分の本心を押し殺し、更には相手の改善の機会を奪うものだからです。そして「優しさ」を拒絶し、本心に忠実に生きていくべきだ、と彼女は考えるのです。この意見は、嘘を自己との関係で捉える卓越した見方だと私は思います。

宇多田ヒカル論』の著者、杉田俊介は、宇多田ヒカルの「誰かの願いが叶うころ」の歌詞の中にある「優しさ」という言葉に注目します。


宇多田ヒカル - 誰かの願いが叶うころ

宇多田ヒカルさん『誰かの願いが叶うころ』の歌詞

 

「人は他人や世界に対する優しさをもっと身につけたほうがいい」と言っているのではない。「かつての自分には恋人への優しさが足りなかった」と言ってるわけでもない。
ただ、ある種の優しさは、良かれ悪しかれ、「私」の中に自然と「身につ」いてしまうのだ。本当にそうなのだ。その優しさが、何かを変えてくれるわけでもない。「小さなこと」によって失われてしまった愛が、再び戻ることもない。
この優しさは、たぶん、何物も生み出しはしない。
それでも、人はただ、どうしようもなく、優しさを深めていく。「小さな地球が回るほど」、ひたすら優しくなっていく。(p.150)

須藤が「優しい嘘」の欺瞞性を撃つのに対して、宇多田ヒカルは「優しくなり続けていくことでしか生きられない」(p.151)人間の業を歌うのです。本当は「優しく」なんかありたくないのに「優しくならざるを得ない」人間の業を。
両者の違いは優劣の問題ではないでしょう。私は両方の意見とも大好きです。敢えていうなら、現実に対する「哲学」と「芸術」のアプローチの違いといえるかもしれません。

p.s 杉田さんも述べているように宇多田ヒカルの歌詞はかなりすごいです。私も1度、本ブログで触れたことがあります。御興味があれば。

tsubosh.hatenablog.com