そういえば、今年、私は厄年でした。男性は、満25歳、42歳、61歳に、災厄に逢いやすいと言われています。迷信深くはないのですが、この頃、散々な目にあっているため、厄除けに行ってきました。
さて、満25歳の頃を思い返したとき、その頃もなんか行きづまっていたなと思います。丁度、修士の2回生だったのですが、進路にも迷っていた時期でした。四国を歩き遍路したり(徳島~高知)、友人に誘われていった先が自己啓発セミナーだったりしたこともありました(変なダンスを強制的に踊らされたような…)。それまでレールの上を歩いていた感があったのですが、そこを無理でも外れようとしてもがいていた感がありました。ちなみに、人生で初めて、おみくじで凶を引いたのもこの頃でした。
昼夜逆転した生活の中で、TVで見ていた記憶があるのが深夜にやっていたプロレスです。大学生時代、私は、たまたま見た次の試合でプロレスの面白さに気づきました。
簡単に説明すると、新日本プロレスは最もメジャーな団体、UWFインターナショナルは打撃と寝技を中心とした格闘技スタイルを志向する団体です。この試合は、その両団体の対抗戦という位置づけになっています。
この試合、レスリング主体の静かな展開で入るのですが、途中、佐野直喜がつかまります。しかし、高田はカットに入らず、佐野が延々つかまり続けます。高田は格闘技のルールを厳守する自らのポリシーに忠実であるため、カットに入らないのです。その高田に「仲間がやられているのになぜカットに入らない」と新日側が挑発し続けます。
この試合の何が面白かったのか。それは、違うルールを持つ者同士が闘うという稀有なことが行われていた点です。そして、この試合が、ルールを厳守することと、相手側のルールに敢えて足を踏み入れること、どちらが勇気のあることなのかを見せようとする一種の劇のように、私には見えたのです。
スポーツでは単一のルールの枠内で最善が尽くされます。しかし、現実は単一のルールでは動いていません。人生が異種格闘技戦の連続だと思います。複雑な現実の中でいかに「強く」あるか、昔ほど見る機会はないのですが、プロレスを見るとそんなことを考えてしまいます。
次は、昔よく聞いていた音楽について書いてみようかと思っています。