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劇場版若おかみは小学生!


劇場版「若おかみは小学生!」予告編

ネットでの評判がよかったので『劇場版「若おかみは小学生!」』を見てきました。とても新鮮だったのは、ストーリーの中で、3つのベクトルが同時に多声的に働いている点です。

1つ目のベクトルは、主人公おっこが様々な他者(旅館で働く人々、旅館のお客など)との関係の中で大人になっていく、いわゆる教養小説ビルドゥングスロマン)的なベクトルです。2つ目は、おっこが家族との別離という心の傷(トラウマ)を克服していくベクトルです。3つ目は、おっこの傍にいる死者たち(ユーレイ)の思いが、おっこの成長を通じて、成就していくベクトルです。

2つ目のベクトルに焦点を当てた傑作映画として頭に浮かぶのは、相米慎二監督の『お引越し』です。(そういえば、この『お引越し』も最後は祭りのシーンで終わりますね。)『お引越し』は主人公が両親の離婚を受け入れる過程を描く映画でした。『若おかみは小学生!』もその系譜に属しているのですが、この映画の画期的な点はストーリーの中に第3のベクトルがあることではないかと思います。この第3のベクトルがあることで、更に物語に奥行きが出てくるのです。まだ映画を見ていない人は是非見ていただければと思いますが、劇中、ユーレイの美陽が真月を「抱きしめる」シーンがあります。このシーンにはちょっと落涙しそうになりました。

この映画は可愛らしいキャラデザインもあり、楽しく見れる映画です。こむつかしいことを考える必要はありません。が、私はこの映画を見た後、下の一節をずっと思い出していました。思想的文脈はかなり違うのですが、引用して感想を閉じたいと思います。

過去という本にはひそかな索引が付されていて、その索引は過去の解放を指示している。じじつ、かつてのひとたちの周囲にあった空気の、ひとすじのいぶきは、ぼくら自身に触れてきてはいないか?ぼくらが耳を傾けるさまざまな声のなかには、いまや沈黙した声のこだまが混じってはいないか?ぼくらが希求する女たちには、かの女たちがもはや知ることのなかった姉たちが、いるのではないか?もしそうだとすれば、かつての諸世代とぼくらの世代のあいだには、ひそかな約束があり、ぼくらはかれらの期待をになって、この地上に出てきたのだ。(ヴァルター・ベンヤミン「歴史哲学テーゼ」『ベンヤミンの仕事2 ボードレール 他五篇』野村修訳,岩波文庫,1994年 pp.328-329)