インタビュー

久しぶりの更新です。ノンフィクションマラソン36冊目は『インタビュー』です。

インタビュー

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ノンフィクションは、単に文献調査をするだけでは面白い作品にならないことが多いのではと私は考えています。様々な取材やインタビューを通じて得られた生の声を交え、物事を立体的にとらえることで、初めて臨場感が出てくる場合が多いと思うのです。

この『インタビュー』という本は、インタビューを生業とする筆者が、自身の経験を基にインタビューの可能性について語った本です。記述が行ったり来たりし、正直、私が好む文章ではありませんでした。しかし、時々、はっとさせられる考察が出てきます。(実は、朝日カルチャーセンターでの著者の講座に出ているのですが、同じような経験をよくします。)

そして、ここからが私としては地域性の差として私的に重視していることなのだが、社会におけるさまざまな意味での暴力にしても、日本の場合には、表面的な言動としては一見おとなしく見えるのでわかりにくいままになっていて充分に語られていない面が多々ある。(…)いってみれば「静かなコミュニケーション」とでも捉えられるものに存在感がある日本という地域において、アメリカでのラップほどのリアリティをつかみたい、と思う時に私が頭のなかでイメージするのが、インタビューという道具なのである。(p.66)

筆者は、昨今のインタビューが広告的な目的に使用され、いわば「ドーピング」させられている状態に置かれていることに危惧を抱きます。そうではなく、目の前の取材対象者(他者)の「声」それ自身に耳を傾け、その人の過去から現在に至るまでの感情の軌跡を辿るべきだと考えます。そして、ラップも声による他者との相互行為でありインタビューとの共通点も多いが、インタビューは、とりわけ、静かな抑圧的な社会の中でもがいて生きている人の声や記憶を掘り越すことができるミニマムな表現手段だと筆者は考えるのです。

筆者が紹介する次のエピソードも、静かな抑圧的社会の中で、どんな声が流通しどんな声が流通しなくなるかがわかる面白いエピソードです。

日常的に取材対象者からの「ここはできれば削除してほしい」といった要望を聞いているとそれはほんとうによく感じる。そして、見せたがるポイントというのは、どちらかといえば、世間の人と横並びの要素を満たして「自分は一人前です」「よその同業者と比べて同水準に達しています」という守りのほうを重要視したところであったりする。(p.209)

実際にインタビューをやってみないとわからないことも多いと思いますが、この本を読むだけでも今までと違う視点でインタビューを捉えることができると思います。