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在野研究ビギナーズ

ノンフィクションマラソン47冊目は『在野研究ビギナーズ』です。

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

在野研究ビギナーズ――勝手にはじめる研究生活

 

面白い本でした。特に、山本哲士さんのインタビューと、第3部「新しいコミュニティと大学の再利用」が面白かったです。私自身も大学院に在籍していたことがあるので、この本で紹介されているエピソードは実践例としてとても参考になりました。

大学院にいたとき、かなり居心地が悪く鬱々としていました。そこにいても学問に対する情熱を感じず、楽しくなかったのです。一度、学会に顔を出した際、コミュニケーションが権威主義的で、正直、ここにはいたくないと思ってしまいました。日常生活でも、誰が博士に進学するか、誰が学振通ったといった、人事的な話が多く、あまり学問の話がないなと思っていました。研究も、手堅い研究が推奨され、なぜあなたはそれを勉強しているのかという根本的な問いに至る話があまりないとも感じていました。

修士から全員博士に進学できるわけでありません。博士に進学できなかった人は別の大学に行ったり、就職したりするのですが、博士に上がれない人がいることが学問的な厳しさを体現しているという雰囲気も嫌いでした。切り捨てることが善ではない、これでは責任だけを負わない徒弟制だとも考えていました。

このようなことを言うと、お前が研究者としての力量がなかったからそのようなことを言うのだという反発があるかもしれません。その点は認めるにせよ、問題の核心はそこにない、また個々人の性格や資質に問題があるわけではない、大学院の知的生産の仕組み自体、その仕組みが個々人に与えている心理的・感情的な影響が問題だと考えていたのです。

『在野研究ビギナーズ』所収の論文の中で、酒井泰斗さんが次のように書いているのを読んで、問題の核心の何かがすっと見えた気がしました。

「(個人的ではなく)共同的な営みとしての研究の、(成果物・生産物ではなく)生産過程に定位した、品質向上のための支援」(p.209)

個人的、成果重視的、そして権威主義的な知的生産体制から、集団的で、過程重視で、平等主義的な知的生産体制へ変更したら、昔、私が感じていた憂鬱は少しは晴れるのかなと考えた次第です。その後の、逆巻さん、石井さん、朱さんの論文も、個人単位ではなく、集団の中で、また社会の中で研究をすることの意味が実体験を踏まえ考えられていて、大変興味深いです。

今、私は、研究者ではなく、よく言っても「潜在的な研究者」にとどまっているのですが、とにかくまともなアウトプットを出したいという気にも改めてなりました。

蛇足ですが、この本に出てくる伊藤さん、昔に会っています。このような形で昔会った人が元気に頑張っていると勇気づけられます。