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誰のために法は生まれた

ノンフィクションマラソン54冊目は『誰のために法は生まれた』です。

誰のために法は生まれた

誰のために法は生まれた

  • 作者:木庭 顕
  • 発売日: 2018/07/25
  • メディア: 単行本
 

(デ・シーカ『自転車泥棒』を踏まえ)今日は立ち入りませんけれど、イタリア社会の成り立ち、仕組、歴史、こういうものを踏まえて、監督はイタリア社会の大きな見取り図を描いている。(…)何が言いたいかというと、『近松物語』と同じように、この映画の場合も、社会というものをかなり精密に捉えて描く、分析する、そういう姿勢というか、知的な頭の作業を伴っているということですね。(p.103)

とても面白く、ハイレベルな内容でした。中高生向けの講義をまとめた本なのですが、いきなり溝口健二の映画から講義が始まり驚きました。私、中学生時代、見てた映画、『トップガン』ですぞ。

この本では、著者の木庭氏の研究(ローマ法を中核とした法学)が、映画や過去の古典を参照にしつつわかりやすく紹介されています。木庭氏の議論を私なりに簡単にまとめると、次のようになります。

1)人は生きるために徒党を組むが、徒党は、性格上、ハラスメント的構造を内包するものである。
2)占有は徒党からの影響を排除する「一時ブロック機能」である。
3)占有に支えられ、人々が自由な言論を展開するのが、デモクラシーである。

この1)から3)までの議論展開は、あまり聞いたことがなく、大変参考になりました。特に集団のハラスメント構造の解体は私自身も興味がある分野で、このような議論があるのかと感心しました。

ただ、より感心したのは、議論の内容よりは、映画や過去の古典の読みです。理論があると、このように作品が見えてくるのかという驚きがありました。方法が空回りする批評と違い、作品全体の構造をつかみながら、作品解読自体が理論の解説にもなりうる。私も理論と表現の往復をしたいと常々考えているので、レベルは違えど参考にしたいなと思います。