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(月3回以上更新目標)

航路を守る(20年6月)

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。緊急事態宣言も明け、私は徐々に普通の生活に戻りつつあります。コロナの影響でコロコロしてしまい、かなり太ったので、体を絞らないといけないです。上の写真は、お台場に行く機会があり、立ち寄った科学未来館の地球儀です。若いころは科学に苦手意識を持っていたのですが、今はフラットな気持ちで科学に接することができたらなあと考えています。

 天文学ということで思い出したのですが、先日、アップリンクの配信サービスで、パトリシオ・グスマンの「光のノスタルジア」、「真珠のボタン」を観ました。いずれの映画も、ピノチェト時代の残虐行為を扱っているにもかかわらず、根底に詩情がある映画でした。私は、評価が高い「チリのクーデター」よりもこちらの方が好みです。

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 最近、高校の頃から自分が興味をもったこと、それは多くは放置していたことなのですが、それらを書き出してみたいと思い始めました。自分の知的ログともいえるものでしょうか。6月中に書けるかな。それ以上に、今、壁面一杯の本棚とそれを置くことができる部屋が欲しい気持ちが強いです。私はそれほどの蔵書家ではないはずなのですが。東京、家賃高いんですよね。

とりとめのない話となりましたが、近況はこんな感じです。でも、家にいると本当に何もしたくなります。早くコロナが収まるといいなあ。

試験勉強という名の知的冒険

ノンフィクションマラソン60冊目は『試験勉強という名の知的冒険』です。

試験勉強という名の知的冒険

試験勉強という名の知的冒険

  • 作者:富田 一彦
  • 発売日: 2012/04/16
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

脱線がだいぶ長くなったので、ここでまとめをしておこう。我々が今注目しているのは「答えではなく手がかりを探す」という方法であった。そして、その例として記号を利用する方法、問われているところ以外の共通性・対称性に注目する方法について語ってきた。この部分は「雑音を排除して手がかりをつかむ」という問題回答の極意に直結する発送の転換であり、勉強を進める上で、きわめて重要なステップであることを改めてここで強調しておきたい。(p.225)

この本は、予備校で英語を教えている著者が、大学入試問題を題材にしながら、問題を解くために必要な考え方について説いた本です。
問題を解くために必要な考え方とは何でしょうか。例えば英語の長文問題を思い浮かべてみてください。長文の中に登場する単語の意味をすべて知っているという人はあまりいないでしょう。もし、知らない単語の意味が問われたときどのように対応すればよいでしょうか。著者は、自分の知っている知識から無理やり解答を導くのではなく、必ず周りに問題を解くための手がかりが潜んでいるはずだと考えます。手掛かりを発見するためにも、まず、受験生は多くの状況に対応できるような汎用的な知識(例:文法知識)を身につけなければならないと述べられます。そのような知識を前提として、単語単体に拘泥せず、周りをしっかりと観察し手がかりを探すと、おのずと答えが出る構造となっているはずであると主張されています。

大学入試は答えがある問題が出題されます。答えがない問題の方が大事であり、大学入試がその観点から批判されることがあります。分からないことはないのですが、働き始めてから、答えがある問題をきちんと解くことも重要だと感じ始めています。答えがある問題が解けない理由は2つあると思います。1つ目は問題が専門的すぎて知識がないという理由です。これは、長期的に知識を付けるしか対処方法はありません。もう1つは、判断をミスしているという理由です。パーツを埋め合わせていけば多くの人が同一の結論となるにもかかわらず、明らかに妥当でない結論を導きだしてしまう。この本は判断に入る前の観察力の重要性が主張されていますが、仕事でも観察力がないため(例えば読み飛ばしなど)、判断を誤ることがあります。この本は仕事での判断過程を振り返る上でもいろいろ示唆を与えてくれる本だと感じました。

ノンフィクションマラソン、次回から5冊単位でジャンルを決めて読んでいきたいと思っています。まずは「教育」分野で5冊読みます。

教育の職業的意義

ノンフィクションマラソン59冊目は『教育の職業的意義』です。

 戦後の経済復興や社会の民主化・平等化が高校進学率を急速に押し上げたという「教育現実」が、労働力需要と企業内定着化の必要性の増大という現実と相まって、「日本的雇用」という「労働力実態」を生み出し、さらに続いて「労働力実態」が一元的能力主義の支配および職業的意義の喪失という「教育現実」を確立し、経済環境がそれをいっそう促進するといったように、教育と労働との循環的な相互規定関係が、政策的意図をも裏切る形で、60年代以降の日本社会を形作っていったのである。(p.87)

「自分は果たしてきちんと社会で働けるのだろうか」。学生から社会人になる前に、誰しもそんな不安を抱くのではないでしょうか。教育の世界から労働の世界へ参入する際、少なからぬ人が両者の間に大きな溝があるのを感じます。違う世界に移行するので、その間に何かしらの溝はあるかもしれません。しかし、なぜその溝がここまで大きくなってしまうのか。この本は、その原因追求と、対処法を考えようとします。対処法の1つが、タイトルにもあるように、教育に職業的意義を持たせるということになります。その主張も説得的で面白かったのですが、先に述べた「溝」がなぜ拡大してしまったのかという原因を分析した第2章「見失われてきた「教育の職業的意義」」の箇所が興味深かったです。

実は、上に掲げた引用が第2章の主張の要約ともなっています。端的には、1960年代高度成長時代の成功体験が、現在の足かせとなっているという主張になります。1960年代より前は、高校を卒業したらホワイトカラーとなることが多かったとのことです。しかし、高校進学率の上昇により、高校を出てもホワイトカラーになれない人が多数出て、企業内で不満が高まります。そこで、企業内でブルーカラーからホワイトカラーへの昇進の道が設けられます。これは、両者の職業的な質的差異が企業内で低下することを意味します。また、おりしも、労働力不足の時代、企業は労働者を確保しようとします。労働者はあくまで企業の「メンバー」として考えられ、ある「職」を専門的に行う者としては捉えられなくなります。このような労働環境があるため、採用の際、企業のメンバーとして働くための一般的な知識・教養だけが見られることになります。そして、現在の教育は、このように「教育現実」と「労働力実態」の相互規定の結果生まれていると、著者は考えます。

このモデルは問題を抱えながらも存続してきたわけですが、2000年代を迎え、目に見える形で綻びが見られるようになります。不景気となり、正社員を前提とした「メンバーシップ型」雇用形態で雇われる労働者の数が減るという労働環境の変化が生じたのです。それにもかかわらず、高校や大学では、「メンバーシップ型」の企業に適合的であった、職業的意義のない、一般的な知識・教養の教育しか行われておらず、それは若者のためにならず問題である、と筆者は批判するのです。(なお、この本では「キャリア教育」批判も同時になされています。)

教育領域はそれ自体で自立性を持つ領域ですが、当然、別の領域とも接続しています。このような領域間の相互関係に着目する視点がこの本の大きな魅力だと思います。また、以前紹介した『残業学』も、成功体験が足かせになっているという指摘をしていました。今、日本は難しい変革期なのだと思います。

航路を守る(20年5月)

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皆様、いかがお過ごしですか。

各種報道によると非常事態宣言の解除が近づいているようで、内心ホッとしています。手帳を見ると3月23日頃から真っ白になっていて、この時期から空白な時間が始まっています。例年、この時期は年度の切り替わりの時期で忙しいのですが、今年は少し違う感じでした。Zoom飲み会や新しいこともポツポツしていたのですが、時間が止まったような気がし、停滞しているという閉塞感がありました。これから、衛生面に気を付けつつ、生活を再起動していこうと思います。

 「自粛」という言葉は道徳的な響きを持つ言葉です。ネットの辞書では「自らすすんで行動や態度を慎むこと」と出てきます。今回の新型コロナ対応で、変に道徳的なトーンを持たせるのはよくないのではないと思います。そこで、私は、今回の自粛は、対人接触回数を可能な限り減少させるという意味であると理解し行動しています。この自粛生活中、自らの行動や態度を改めることなく、結構、自堕落な食生活をしてしまいました。画像のアイスは連休中によく食べたのですがおいしいですよ。

さて、こちらのクラウドファウンディングも応援することにしました。文化セクターが苦境を脱することを心から望んでいます。

motion-gallery.net

 あと、コロナ禍の中での書店について面白い動画がありました。これも勉強になりました。

www.youtube.com

 連休中に読んだ教科書は、『図書館情報学を学ぶ人のために』です。友人がこの本の編集者だったため手に取りました。

図書館情報学を学ぶ人のために

図書館情報学を学ぶ人のために

  • 発売日: 2017/04/08
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 この本の冒頭に次のような言葉が出てきます。

 「図書館情報学は司書の仕事を体系化することから始まった学問であるが、社会の変化に応じて、より広い「知識共有現象」を対象とする学問に発展してきた。知識が人びとのあいだで、社会のなかで、歴史をとおして、伝達され、共有されていく様を現象として捉えようという視座は図書館情報学特有のものである。」(p.i)

 「知識共有」という概念をキーとして、図書館の歴史からリンクト・オープン・データのようなネット上の最近の概念までわかりやすく論じられています。大変勉強になりました。「知識」を「共有」する現象は多面的です。どのような知識を、誰と、どのような手段で共有するのか、様々な在り方が考えられるからです。

連休中観た映画で面白かったのは、圧倒的に「フォードvsフェラーリ」です。画面作りもすごいですが、組織の中で求道者はどう生きるのか、現代において道を極めることとは、様々な要素が詰め込まれています。

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では、6月には、緊急事態宣言が解除されていることを期待して、また。

黒檀

ノンフィクションマラソン58冊目は、リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』です。

 ヨーロッパ人は、アフリカにいても、そのごく一部しか見ていない。たいていは、上っ面だけ、それも面白い部分でなく、およそ重要でもなんでもない部分を見ていることが多い。彼らの視線は表面を撫でるのみで、その奥を見通すことはない。万物が秘密を内包していることを信じず、自分が見ているものごとの裏に隠された意味があるなどとは思わない。(p.376)

リシャルト・カプシチンスキは、ポーランドルポルタージュ作家です。この『黒檀』は、1958年から40年にわたる彼のアフリカ取材をテーマとしたルポルタージュ集です。1998年に『選挙新聞』に連載された記事29本から成り、アフリカ各国での彼の体験談が時代順に並べられています。

この本の良さは、筆者が訪れた土地の人とできるだけ同じ視線の高さを共有しようとし、その土地の風土、習慣、価値観などを理解しようとしている点にあります。「アミン(ウガンダ編)」という章では悪名高きウガンダの独裁者について、「ルワンダ講義(ルワンダ編)」ではフツ族によるツチ族の虐殺を、「冷たき地獄(リベリア編)」ではリベリアの内戦が描かれています。これらの章は比較的ジャーナリスティックなテーマを扱っています。しかし、ジャーナリスティックな記述(これも簡潔でわかりやすい。)の中に、田舎から都市に流入する流民の問題や、氏族の問題点も触れられています。これらの問題は他章でも繰り返し触れられており、他章の記述とリンクしながら立体的にアフリカの抱える問題が浮かび上がってきます。(なお、文化にかかわる記述として面白かったのは、魔術師や妖術師の記述や、ヨーロッパと異なるアフリカの時間概念でした。)

この本について、ネット上にも素晴らしい評があるので読んでみてください(下に貼っておきます。)。陰鬱なテーマが多い本ですが、端々から、そして特に本の最後の文章から、筆者のアフリカに対する深い愛を感じとることができます。 

・「他人の立場にたつということ」(Honz

honz.jp

・「ルポルタージュの最高傑作『黒檀』」

ルポルタージュの最高傑作「黒檀」: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる