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「就活に喝」エントリ

内田樹さん「就活に喝」エントリ、確かに面白いですね。

■内田さんのブログ
http://blog.tatsuru.com/2010/04/14_1233.php

この文章自体が、記述的な文章ではなく、遂行的な文章になっています。

でもこのエントリに諸手を挙げて賛成かと問われるとちょっとどうもと言わざるを得ません。

内田さんの関心が、ミクロな人間関係にあり、ミクロな人間関係の背後にある社会システムにはないことは、昔からよく知っています。だからこのエントリを批判する濱口さんとは、全く議論の土俵が違っていてその食い違いからもいろいろ学べます。

■濱口さんのブログ
http://eulabourlaw.cocolog-nifty.com/blog/2010/04/post-b43f.html

私はこのエントリを読んで感じたのは、まずは、「ゼミ教授-ゼミ学生の関係は、全面的師弟関係なのか」という点です。

全面的な師弟関係ならば、このエントリはまだ筋が通るのですが、仮に全面的な師弟関係を大学のゼミに適用する場合、大学生は多くの師匠を持つことになり、「忠臣は二君に仕えず」のルールを逸脱します。

次に、「内田先生には、師弟関係であっても、ゼミ内で、こういう感じで、ミクロな権力を行使してほしくないな」という点を感じました。内田さんのエントリをこの下りを読んだあたり、いやらしいなと思いました。

そうではなくて、「まあ、これくらいのことで怒るのはおとなげないわな」というように自分に言い聞かせて、表面を取り繕った場合が恐ろしい。その怒りは行き場を失って、深く静かに内攻し、フロイトが言うように、検閲を逃れて、まったくそのかたちを変え、「症状として回帰する」ことになるからである。私の「症状」がどういう形態をとるのか。私は見たことがある。それはたいへん禍々しいものであった。

私はフロイトに詳しくないのですが、抑圧されて無意識化された怒りが症状として回帰する先は、内田さん自身だと読みました。怒りは形を変えて、内田さんに症状として出るため、内田さんは自己制御(「検閲」)できず、学生さんに無意識的にいろいろしてしまうわけです。そして事後的に、その結果を「私は見る」のです。

結局のところ「キレるよ、キレると何するかわかんないよ」ということになるかと思います。

通常の人間関係でも、ましてや師弟関係でも、これはちょっとまずくないですか?ゼミ内で、思い切って怒るなり、問題提起していき、問題を「見える化」した方がよくないですか。いや全面的師弟関係には、目に見えない次元のパワハラによってこそ、到達できる地平があるかもしれません。(私はこれは否定はしません)しかしパワハラは、兵器でいえば、核弾頭であり、通常兵器として使用してはいけないでしょう。

内田さんが専門としているレヴィナスは、ミクロな非暴力的な対人関係はどうしたら可能か、これをテーマにしていると私は考えています。ぜひレヴィナスの問題意識に立ち返ってほしいなと思います。