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日本ノンフィクション史

 

本書は、個々の作品にはあまり立ち入らず、日本においてノンフィクションという概念がどう成立したかをテーマとしています。特に、筆者は、沢木耕太郎においてノンフィクションの物語化が決定的となり、物語的ノンフィクション作品が一般に膾炙する反面、ノンフィクションが持つ記録性や事実性の側面が見失われがちになったと主張します。

筆者の主張を私なりに言い換えるなら、ノンフィクションが小説化する際に失われるもの、得られるものに注視せよということではないでしょうか。ノンフィクションを読むときに感じるのは、世界が自分の想像を超えているという感覚です。事実の重みがちっぽけな自分の想像力を凌駕する、その瞬間に快楽を覚えるのです。ただ、事実を提示するだけでは足りないとき、また、事柄自体の意味を深く探りたい場合に、虚構が力を発揮します。本書でも、開高健が、『輝ける闇』で、ノンフィクションで昇華できなかったことをフィクションとして昇華したと紹介されています。

さらに、この本の中で改めて気づかされたのは、ノンフィクションに関するメディアの幅広さです。第3章「トップ屋たちの蠢動」では雑誌記者たちの集団的な記事作成が、第5章「テレビの参入」ではノンフィクション概念の成立に影響を与えたTVドキュメンタリーがテーマとなっています。いずれも小説のように単独の著者が執筆するというモデルで作品が作成されていません。私自身、幼い頃読んで興奮したのは、漫画の偉人伝や兵器の図鑑でした(ちなみに、最近では、週刊誌記事も大好物ですが(笑)。)。
多くの人々に影ながら影響を与えている読み物が、分業化され集団制作された記事や映像であることも多いはずです。本書で、このような読み物もきちんと射程に捉えなければならないという点を再確認することができました。

ノンフィクションの手頃な通史がない中、とても勉強になる本でした。本書で紹介されている個々の作品の評価については、また、個々の記事の中で紹介できればと思っています。