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(月3回以上更新目標)

三歩後退一歩前進(その1)

不惑を迎え、未来につなげられればと思って、昔のことを振り返る「三歩後退一歩前進」シリーズを始めることにします。

tsubosh.hatenablog.com

つい先日、18歳のときの下宿先の近くに行きました。画像は下鴨北小路交差点です。

 

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阪神淡路大震災オウム事件が起こった年、大学進学に伴い、私は京都の下鴨高木町に下宿して一人暮らしを始めました。まだバブルの残り香が残っていた時代です。大学1回生、オリエンテーションの時、「将来君たちは食べていくのは問題ないよ」とある教官に言われたことがありました。日本が豊かでまだまだ上昇すると、周りの多くの人が考えていたのではないかと思います。その甘い観測が将来全く通用しなくとなるとは、その時考えもしませんでした。ただ、その甘い考えのおかげで、自分の考えに忠実に行動する自由が得られた面もあります。

大学に入った時、私は、外見的には謙虚だったかもしれませんが、内面的にはとても傲慢でした。また、何故か人には負けられないという意識に苛まれており、とても焦っていました。そして、高校時代で行ってきた受験勉強ではなく「本当の勉強」をしなければ、大学生活は4年しかないのだから、という強い思いがありました。

ただこの「本当の勉強」は、出だしからつまづくことになります。今思うといろいろな理由がありますが、思い込みが強かったこと、準備不足だったことが大きいです。

私の所属していた学部は、いわゆる教養・学際系の学部で科目選択がかなり自由でした。更に、私の周りでは、授業に出ること自体が美徳として推奨されない雰囲気がありました。その雰囲気に流されて、語学は必須のため授業に出ていましたが、夏休み以降から他の授業には出なくなりました。その中でもよく覚えているのが、菅原和秀さんの「社会人類学」や新宮一成さんの「精神分析夢分析)」の授業です。何を覚えているかというと、全く歯が立たなかったということをです。他にも魅力的な講義がたくさんありましたが、1~2回生時代は理解できない点が多かったなと思います。

ただ、わからないのは当然のことです。その領域を勉強したことがないからです。向き不向きは別として、本を読んだり論文を読んだりして、知りたい領域の相場観をつかむ必要があるのですが、そうすることが技術的にも、また、心理的にもできなかったなと思います。それができなかった理由として、当時、自分が予備校文化にどっぷりと浸かっていたことが一因としてあるのではと今、考えています。

自分が予備校文化からどのような影響を受けたかという点については次回に。