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南方熊楠

ノンフィクションマラソン25冊目は、南方熊楠の概説書(新書)です。 

南方熊楠 - 日本人の可能性の極限 (中公新書)

南方熊楠 - 日本人の可能性の極限 (中公新書)

 

熊楠の在り方は、私たちの常識を揺さぶる。また、熊楠による「大日(大不思議)」に関する言葉は、我々に、視覚化・対象化不可能な「生命そのもの(根源的な場)」を思索するための重要な手がかりを与えてくれる。熊楠は、私たちにとってあまりにも近くにありすぎて見落としているものを気づかせてくれる。それは「適切な距離」とは何かということであり、「根源的な場(自然そのもの・生命そのもの)」とは何かということでもある。(p.277)

 先の日曜日、友人らと共に、国立科学博物館で開催されている「南方熊楠生誕150周年記念企画展南方熊楠-100年早かった智の人-」に行ってきました。展示はかなり充実していましたのでお勧めです。

南方熊楠生誕150周年記念企画展「南方熊楠-100年早かった智の人-」(2017年12月19日(木) ~2018年3月4日(日))- 国立科学博物館

さて、展示を見た率直な感想は、熊楠は難しいなというものです。比喩的な表現で恐縮ですが、巨大な光源がプリズムで乱反射している感じがしました。折角の機会、もう少し熊楠のことを知りたいと思い、上記の新書を読んでみることにしました。

この本は、時折思想的に踏み込んだ記述をはさみつつ、わかりやすく熊楠の生涯をまとめています。また、熊楠の特徴を「距離の不在」(境界の不在)と捉えています。主体と対象の間の距離、性に関する距離、現と夢の距離、生と死の距離が熊楠ではほとんど消失しており、それが彼の収集癖や思想(南方マンダラ)につながっていると考察されています。

先般、柳田を読んだときかなり精神分析と近い場所で思考している感じがしましたが、今回読んだ熊楠もとても近い感じを受けました(熊楠自身もオカルティズムに相当興味を示していたようです。)。私はノンフィクションは民俗学と類縁性がかなりあると思っていましたが(また、私だけでなく多くの方もそれを指摘していますが)、民俗学精神分析という領域もかなり類縁性があるかもしれません。

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