前回の記事で書き忘れたことがありました。せっかく東京に住んでいるので、いつかG1クライマックスを観に行きたい!なかなか、忙しくて行けないのです。
前回、大学時代に聴いていた音楽について書くと言いました。また、論が脱線してしまいますが、少し思うところがあるので、音楽そのものでなく、別の角度から音楽について取り上げたいと思います。
高校生の頃、ラジカセで音楽を聴いていたとき、よく親に「うるさい、音量を下げなさい」と言われました。これは多くの人が経験したことがあると思います。しかし、このようなことを言われたことはありませんか。「その音楽をどこで知ったの」と。
その当時は、ウザい質問だなあと思っていたのですが、今振り返ると、この問いは面白いと思います。聴いていた音楽をどのように知ったか、自分のことを思い返すと次のような感じになります。
- 高校時代、
①部活の友人から
②洋楽好きな友人から(TOTO、BonJovi etc)
- 大学・大学院時代、
①所属していたサークルの徹夜カラオケで(岡村靖幸、小沢健二、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT etc)
②音楽好きな友人の強引な紹介(クラシック音楽、ジャズ etc)
③研究の過程で聞いた曲、先輩から紹介された曲(シャンソン、パティ・スミス、パブリック・エナミー etc)
- 社会人時代
①Youtubeで気になる曲を聴いて、そこでリコメンドされる曲を聴いてみる。
こう振り返ると、学生時代までは人づてで音楽を知ることが多かったなと思います。そして、これは社会学的概念である文化資本の問題に直結するなあと感じます。また、社会人になってからは、音楽の話をしなくなったとも感じます。
こんなことをつらつら書いたのは、実は別の問題について考えているからでもあります。実は、今、どのようにしたら家事ができるようになるのかに興味があります。というのも、私、かなりの家事下手です。ただ、誰にどのように何を聞けばよいかわからず我流でかなり雑に問題を解決しています。最近は、インターネットがあるため、ある程度までカバーは可能なわけですが、家事は本質において手仕事だと思っています。画像や理屈でわからない面も多々あるでしょう。
これは仮説なのですが、家事の習得も人間関係の厚みに影響される面もあるのではないでしょうか。家庭内の情報伝播を考えると、現在は、妻-夫、母親-娘、母親-息子、祖母-娘というような流れが考えられるでしょう。もちろん、独力で解決している場合も多々あると思います。でも、そのトライ&エラーが、顕在的な知となっていないのではないかと思います。
昔、教育学に触れたとき、学校での学びを無意識に前提にしているのではないかという感想を持ちました。今、衣食住という人間の生の基本についての学びの姿について是非知りたいな、と考えています。それが、男性が家事をやるようになる社会への潜在的な支援となるかもしれないと思います。
まあ、ごたくを言わず、とっとと家事出来るようになりなさいと怒られるようなことかもしれませんが(汗)。
次回は、大学から大学院のとき聞いて衝撃を受けたブランキー・ジェット・シティーについて書きたいと思います。