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(月3回以上更新目標)

方丈記私記・方丈記

ノンフィクションマラソン28冊目、29冊目は『方丈記私記』『方丈記』の2冊です。実はこの文章は、「1冊の本を書くための「本の読み込み方」」という講座に参加して書いたものです。講座からは大変な示唆を受けました。それを含め、最近考えたことは別の記事に譲るとして、まずは書いた文章を記載します。

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方丈記私記』私記

方丈記私記 (ちくま文庫)

方丈記私記 (ちくま文庫)

 
方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

方丈記私記』は、堀田善衛東京大空襲に逢ったときの経験がきっかけとなって書かれた本である。一般に『方丈記』は「無常」を説いた本であると言われている。堀田もそのような読み方に影響され『方丈記』に興味を持てないでいた。東京大空襲当時、堀田の「親しい女」が深川あたりに住んでいた。深川は空襲による火災が激しく、堀田はその女性が火に焼かれたことを確信する。その時、彼の脳裏に「火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移り行く。その中の人、現し心あらむや」という『方丈記』の一節が突如浮かぶ。なぜその一節が突如浮かび自分の心を打ったのか。その問いに答えるため、堀田は自分の戦争体験を手がかりにして『方丈記』を読み直す。

読み直しの中で、堀田は長明の記述の具体性に気づく。その具体性を支えているのは、長明の野次馬根性だ。長明は用もないのに至るところに顔を出し、果ては鎌倉にいる源実朝に会いに行っている。フットワークの軽さと確かな観察眼で、長明は平安末期に起こった大火、飢饉、大地震などの記録を残す。『方丈記』は一種の「ルポルタージュ」であるとまで堀田は語る。このような『方丈記』の即物的な表現と対比的に論じられるのが、藤原定家を始めとする貴族達の和歌である。彼らが詠う和歌の中には災害の痕跡が全く見られない。あたかも目の前の現実を全面的に拒否するかのように、本歌取りに興じる。両者の表現を対照させ、堀田は次のように述べる。

 定家や後鳥羽院などの一統、朝廷一家が、悲惨きわまりない時代の現実はもとより、おのもおのもの「個性」あるいは「私」というものも捨象してしまった、いわば「芸」の世界、芸の共同体を組織し、その美学を高度に抽象化すると同時に、反面でのマナリズム、類型化をもたらすべくつとめていたとき、長明は「私」に帰った。すなわち方丈記に見る散文の世界がひらけて出て来るのである。(p.117) 

そして、堀田は、貴族達の「芸」の世界が日本の社会構造(堀田は天皇制を特に意識している。)に根を持つと考え、長明はそこに馴染まなかったことから新たな表現をなしえたと考えるのだ。

さて、今回の課題は「ノンフィクションを読み込み、それを活かした体験記を記す」というものである。『方丈記私記』を読み、その後『方丈記』そのものも読んだが、私には堀田のような『方丈記』読解はとても出来ないと感じた。『方丈記』だけ読んでいただけでは、新古今和歌集との比較など思いもつかないと思う。堀田の鋭利な読解に比べられるものでもないが、『方丈記私記』『方丈記』を読み私の頭に浮かんだことを二つほど記してみたい。一つはあるインタビューのこと、もう一つは「すみか」(住居)に関することである。

あるインタビューとは、昨年、NETFLIXで放映された明石家さんまのインタビューである。インタビューの中で、さんまは同世代の友人たちが花鳥風月に興味を持ち始めたことに気づき、自分はそうはなりたくないと述べている。「野原に咲く花を見たら踏みつけよう、鳥を見たら石を投げよう」と、さんまはインタビューの中で笑いながら語っている。さんまは、なぜ花鳥風月を拒否するのか。それは、花鳥風月は「老い」てわかるものだと彼が考えているからだ。常に「若く」あるために、彼は花鳥風月を拒否する。ここでの「老い」「若さ」は、肉体的というよりは精神的なものであろう。笑いには色々な要素がある。人をバカにしてとる笑いもある。しかし、笑いは、本質的には常識を疑い相対化するものなのではないだろうか。花鳥風月こそ笑いの対象となるはずのものなのに、それに取り込まれてしまってはお笑い芸人としての死を意味する、と彼は無意識的に考えたのだろうと私は思う。

また、堀田は『方丈記』が、世界的にも珍しい「住居についてのエッセイ」であると述べている。『方丈記』の住居の記述についてもいろいろ思うところがあった。私は今四十歳を超えたくらいの歳だが、若い頃と違って住居について考えることが増えている。知人にはローンを組んで住宅やマンションを買う人が増えている。ローンを組むと多くの人は今の仕事をやめられなくなる。住居は、人間が生きるための最も基本的な要素であるとともに、夢でもあり、しがらみや執着をもたらすものでもある。やめられない仕事を持つ人間がどこまで自由にものを言うことができるか、不安に思ってしまう。長明は組み立て式の住居に住み、極力人の力を借りず生活を組み立てる。しがらみや執着をなくすことで、長明は自由にものを語る。遂には、自らの質素な庵の生活に自分が執着しているのではないかと自問するまで、自らに対する批評精神を緩めない。このような長明の生き方は、私はとても精神的に「若い」と思う。

実は「老い」「若さ」という言葉は、『方丈記私記』の中にも出て来る。それは、長明が日野の庵について語る語り口の箇所である。「それは、何かを、何物かを突き抜けて出たことにある軽さ、軽みである。文の体としては、「老」などというものではまったくなくて、むしろ、若い、とさえ言えよう」(p.182)と、堀田は長明の文体を評している。歴史意識や散文精神という観点から『方丈記』を読んだ堀田は、私の感想に納得してくれるだろうか。ともあれ、私が『方丈記』を読んだとき最も印象に残ったのは、長明の精神的な「若さ」であり、「軽さ」であり、自由を求める批評精神だった。