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映像の境域

ノンフィクションマラソン46冊目は『映像の境域』です。最近、ドキュメンタリー映画について突っ込んで考えてみたいと思っているので手に取りました。

映像の境域: アートフィルム/ワールドシネマ

映像の境域: アートフィルム/ワールドシネマ

 

 といいつつ、この本は、ドキュメンタリー映画だけを対象とした本ではありません。映画には映像の要素、音の要素、物語の要素という3つの要素があると思うのですが、この本では、映像独特の要素(領域)とは何かが、たくさんの映画を参照しつつ考察されています。前半の映像詩の紹介(特に、映像と音との関係を意識したレトリスム映画の紹介が面白い。)も興味深かったですが、最後の松田政男論が面白いです。

(参考)レトリスム | 現代美術用語辞典ver.2.0

その論の中に出てくる、次の箇所を見てください。

わたしたちが映画批評の立場から、風景映画とそこから導きだされた風景論をあつかいたいのは、カメラによって切り取られたフレームのなかに、ネットワーク化された権力の新しい形態や管理システムが否応なく滑り込んできているのではないか、と考えるからだ。気になるのは、実際に人間が見る風景にではなく、映画として撮られたショットの風景のほうに、それらがより顕在化されたかたちで記録されるか、である。(p.247)

確かに、映画に限らず写真でもそうですが、実際の目で見る風景そのものと、ファインダー越しの風景というのは、違う質を持っているなと思います。仮にそのまま目の前にある現実を写し取ったとしても、映画の中には違う質が出てくるというのはよくわかりますし、その要素こそが映像領域といえるかもしれません。