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核時代の想像力

ノンフィクションマラソン48冊目は『核時代の想像力』です。大江健三郎の1968年の講演録となります。

核時代の想像力 (新潮選書)

核時代の想像力 (新潮選書)

 

さて、ぼくはこの一年間つづけてお話してくる間に、自分が、想像力とは言葉にほかならぬ、想像力と言葉とをイコールで結んですらいいという考えかたにしだいに達してきたことを、いま問題の結論にむけて収斂しなければならない段階になって、はっきり申したいと思います。(p.282)

「大江はすごい」と連呼している若い友人がいて、少し気になっていて手に取ってみました。読後の感想として、大江って本来的に作家なんだなと強く思いました。

核兵器の使用により人間が滅びかねない社会状況について様々に語られてもいますが、私が惹かれたのは引用される文学作品や創作の基となるようなエピソードの数々です。是非、「2 文学とはなにか?(1)」の同時性を巡る考察、「3 アメリカ論」、「6 文学とはなにか?(1)」のロブ=グリエ論を読んでみてください。私は、「3 アメリカ論」の考察から、なぜアメリカで超能力捜査官がいるのか(!)の手掛かりを得ました。よくTVでやっている例のやつです。

最後に、政治的言説にも鋭いものが見られます。下の記述などもどきっとさせる発言です。

文学の仕事を現場でやっている人間にすぎぬぼくにとって、確実な唯一なことは、政治家がYESという言葉を発すれば、それはYESという内容をもっているのだと、まともにわれわれ一般の人間がうけとりえ、それにたいしてそれぞれに反応しうるという最初の踏み石が、この現実の日本の泥水のなかに置かれねばならぬということです(p.295)