Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

クローチェ 1866-1952

ノンフィクションマラソン51冊目は、『クローチェ 1866-1952』です。

クローチェ 1866-1952

クローチェ 1866-1952

 

ヨーロッパ思想史を俯瞰した優れたS・ヒューズ『意識と社会』は、二十世紀初頭の知的巨人としてM・ウェーバー1864年-1920年)、G・フロイト(1856年-1939年)に加えてクローチェの名前を挙げている。にも、かかわらず、日本において、クローチェ研究のモノグラフは1939年の羽仁五郎著『クロォチェ』以来出版されていない。(p.10)

最近、ひょんなきっかけで羽仁五郎について少し調べています。ただ、全く相性が合わないです…。研究とアジテーションとが混然一体となっている感があり、論理に入る前に、生理的に受け付けないのです。後年の主著『都市の論理』は、読み始め50ページくらいで挫折してしまいました。

羽仁五郎は、イタリアの思想家ベネデット・クローチェに大きな影響を受けたといわれています。

ja.wikipedia.org

私が羽仁五郎『クロォチェ』を読んだのは数年前ですが、この時も少し疑いながら読んでいました。本の中で「自由」という言葉が連呼されていたのですが、羽仁自身の主張なのかクローチェ自身の主張なのかどちらなのか、読者として分からないなという感想を持ちました。

今回紹介する『クローチェ 1866-1952』は、「羽仁五郎」以来、初のクローチェのモノグラフ的研究とのことです。この本では、クローチェの思想や政治への関わり方が、時代順に分かりやすく解説されています。率直にいうと、もう少し彼の哲学的議論に入り、詳しく論じてほしかったという思いはあるのですが、私自身全く知らなかった思想家へのよい導入となりました。

特に、「自由」という概念が、クローチェがファシズムに対抗する際の重要な概念であったという指摘は興味深かったです。この「自由」は、自然権思想に基づくような自由ではなく、リソルジメント(イタリア統一運動)を成し遂げた原動力である「自由」だと言われています。国民国家を形成する自由主義的な思想を重視していたと思われるのですが、これは20世紀初頭ではどちらかというと(つまり、マルクス主義等と比べると)保守的な思想ではないかと思います(事実、クローチェも政治的には保守的であったらしいです。)。(一種の)保守思想からファシズムに対抗するという理路と、それがなぜ「マルクス主義歴史学者」といわれる羽仁の心を撃ったのか、考えていくと色々面白そうな論点がありそうな気がします。