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市民の科学

ノンフィクションマラソン53冊目は、『市民の科学』です。

市民の科学 (講談社学術文庫)

市民の科学 (講談社学術文庫)

 

 とくに実験科学や工学技術の分野では、専門性の裏づけとなるような実験装置や技術情報がもっぱら組織の内部で占有されていため、これとは独立に専門的力量をつけることが難しく、その一方で専門知識の内側にいる人間にとっては、自由な批判を可能にするだけの独立性を獲得することが難しい。

このような現実の状況のもとでは、批判的専門性は、利害集団の外側における、よほど周到な意図的・計画的な継続した努力によってしか保障されないだろう。それを私は、批判の組織化と呼びたい。そこには、個人的努力の次元を超えた文字どおりの組織的努力が必要と考えられるからである。(pp.32-33)

既に皆さんご存じかと思いますが、高木仁三郎とは次のような人です。

高木仁三郎 - Wikipedia

この本では、前半で筆者の高木仁三郎自身が設立した原子力資料情報室について、後半で日本のプルトニウム政策について記載されています。後半のプルトニウムの記述は大変わかりやすく、まさに専門家ではない「市民」の聞き手を意識した記述になっていると思います。福島原発事故発生の頃聞いた様々な断片的知識が、一つの明確な像を結んだ感がありました。

ただ、この本の肝は、上の引用にある「批判の組織化」がどのように可能かということだと思います。現代の科学が「個人的努力の次元」だけで成立しているものではなく、集団的次元で展開している以上、その批判も集団的次元で準備、遂行される必要があります。本の前半にはドイツのNPOや資金繰りの話など、かなり具体的な記述もあり、このような具体的な話をもっと読みたいと思いました。

今、「批判の組織化」なき社会で、科学的知識を吟味することの難しさを感じています。2020年3月時点でコロナウィルスが日本で広がりをみせていますが、特にPCR検査の実施について様々な意見が見られます。自分の頭で考えて情報や意見を吟味する必要があるのは大前提としても、科学的知識の正誤について素人が判断する難しさはあります。しかも、原発事故以降顕著にみられるのですが、科学的対立が、政治的対立により増幅される傾向があります。時の政府におもね科学より政治を優先することは論外としても、政府に批判的意見でも、集団的な検証を経ず、〇〇先生の意見というように個人的な意見が無批判に受け入れられる傾向があるように思います。

『市民の科学』は原発事故「前」に書かれた本です。今、私たちは原発事故以降を生きています。「後」を生きる人間は、「批判の組織化」なき社会で、「後」で分かった問題を踏まえ、「市民の科学」をアップグレードする必要があるのではないかと考えています。