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ブロッホの生涯

ノンフィクションマラソン56冊目は、『ブロッホの生涯』です。

人間は蛇の誘惑によって知慧の木の実を食べ、それによって天国から追放されたと聖書に言われている。しかしブロッホは、知慧の木の実を食べることによって、神のようになりたいと意志した人間こそが、真の人間の在り方であると考える。ブロッホにとって、むしろ神のようになりたいと意志しないことの方が、人間のほんとうの原罪である。したがって神に反抗して地上に落された堕天使ルシフェルこそ、むしろ人間の置かれた位置を象徴する存在である。そして彼が故郷へ、もといた天国へ帰ろうとするように、人間は神に反抗しつつ自己自身に出会える故郷へ戻ろうと模索しているのだ。(p.107)

この本は、エルンスト・ブロッホというマルクス主義哲学者のモノグラフィー的研究書です。

エルンスト・ブロッホ - Wikipedia

この本、長らく積読状態になっていたのですが、手に取ってみようと思ったのは、最近の新型コロナウィルス感染拡大がきっかけです。

エルンスト・ブロッホの思想の鍵となる概念に「生きられた瞬間の暗闇」というものがあります。人は現在を懸命に生きるからこそ、逆に現在が分からなくなるという逆説があるという話を、学生時代に聞きました。そのとき、ブロッホの「生きられた瞬間の暗闇」という概念を知ったというわけです。この概念は心の片隅にずっと残っていて、今回のコロナ問題でその概念を思い出しました。

たとえば、1月、2月時点で、ここまでコロナウィルスの感染が拡大すると確信できたでしょうか。少なくとも私は、1月、2月に現在の萌芽はあったはずなのですが、それが見えないまま、現在を迎えています。そして、4月の今、6月、7月の未来を確実に見通すことはできません。

1月、2月の時点のことを改めて捉え直すのは、昔、存在したかもしれない未来への萌芽を確認することです。非常事態だからといってて思考停止となるのは、未来への道を閉ざしてしまうことになるでしょう。

このように、生きることは暗闇を抱くことであるのですが、暗闇から学ぶからこそ、人間には可能性があるのだということもできます。この本を読んで印象に残ったのは、引用にもあるブロッホ無神論的ともいえるキリスト教理解でした。ここからも、ブロッホの「暗闇」(神から追放された世界)から学ぶ姿勢を見て取ることができます。