Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

精神疾患とパーソナリティ

『精神疾患とパーソナリティ 』(M・フーコー著 ちくま学芸文庫)
を読みました。

思想的な本を避けているつもりが、薄くてさくっと読めそうな思想系の本を読み始めてしまいます…。

この本、フーコーの第一著作らしいのだが、手探りしながら、自分の向かう方向を模索している感があります。現代フランスの思想は、「決めゼリフ」にこだわるところがあって、読んだ際はおおーと思うが、振り返って本当にそうなのかな?と思うことしばしば。

この本で気にいった「決めゼリフ」は、

人格の心理学の根拠となったのは、二重人格の分析であった。自動症と無意識の分析によって、意識の心理学が基礎付けられた。〔知能の〕欠損の分析によって知能の心理学が始まった。言い換えると、人間が「心理学の対象となしうる種」となったのは、狂気と人間との関係によって心理学が可能となった瞬間のことである。この瞬間から、狂気と人間の関係は、排除と処罰の外的な次元と、道徳性への帰属と有罪性という内的な次元によって定義されるようになった。狂気をこの2つの基本的な軸によって位置づけることによって、19世紀初めの人間は狂気を把握できるようになったそしてこれによって初めて、一般的な心理学というものが可能になったのである。(p166)

(通俗的ともいえる)身体論が今流行していますが、身体論の祖、メルロ・ポンティが『知覚の現象学』で取り上げたのは、シュナイダーという「戦争」によって「後頭部を損傷した」患者だったことを思いだします。身体論も「外的状況」や「欠損」からはじめているのに、俗耳に入るレベルの言説では「調和」が強調されている気がします。そんなことを思い返させる一節でした。