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(月5回更新、累計1000記事目標)

批評を書き溜めてアルバムを作ることを目指しています。(まず10本)

  1. 「【映画評】<映画>と<映像>のリミットを往還する―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論」(前編)(後編
  2. 「【ロング書評】ジャック・デリダ『アーカイヴの病』を読む」(前篇)(後篇
  3. 「【映画評】沈黙、発話、発達~映画『デトロイト』を活動理論で読み解く」(前篇)(中篇)(後篇
  4. 「【ロング書評】現在進行形の道徳的戦場へヤングアダルトを連れていく~梨木香歩『僕は、そして僕たちはどう生きるか』論」(前篇)(後篇
  5. 「【ショート書評】アドルノ「文化批判と社会」を読み直した」(本文
  6. 「【旅行記分かりやすい映画が好きかも ~山形国際ドキュメンタリー映画祭2019旅行記」(本文

2020年までにノンフィクション100冊マラソンを達成したいなと考えています。

以下は、マラソン本のインデックスです。1件当たり、600字から800字くらいまででコンパクトに感想を書きたいと思います。今年中に終わるかな?

50冊名:和田洋一灰色のユーモア』(2020.1.17)
51冊名:倉科岳志『クローチェ 1866-1952』(2020.2.1)
52冊名:森田朗会議の政治学』(2020.2.9)
53冊名:高木仁三郎市民の科学』(2020.3.7)
54冊名:木庭顕『誰のために法は生まれた』(2020.3.15)
55冊名:石原俊『硫黄島』(2020.3.28)
56冊名:好村冨士彦『ブロッホの生涯』(2020.4.18)
57冊名:中原淳+パーソル総合研究所『残業学』(2020.4.25)
58冊名:リシャルト・カプシチンスキ『黒檀』(2020.5.16)
59冊名:本田由紀教育の職業的意義』(2020.5.24)
60冊名:富田一彦試験勉強という知的冒険』(2020.6.5)
tsubosh.hatenablog.com
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航路を守る(7月)

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皆様、いかがお過ごしでしょうか。写真は、お台場のレインボーブリッジです。

私は、徐々に外に出て体を動かしています。休日は1時間くらい歩くのが習慣になっていて、体がとても喜んでいるのがわかります。コロナが再流行し、再び自粛生活が始まっても散歩は続けたいですね。体を動かさないと頭も動きません。

まず、映画関係の話ですが、アップリンクの件は残念でした。私はあまり事情を知らないため軽々に語れませんが、原理原則として、パワハラは許されるべきことはでないと思います。

学習は少しペースダウンしているのですが、最近はこんな教科書を読んでいました。

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

成人の発達と学習 (放送大学大学院教材)

 

まだ3分の1ぐらいしか読んでいないのですが、成人教育という学問領域の難しさを実感しています。読書中、次のようなことを考えていました。

今までこの本に出てきたキーワードには、エイジング、ライフサイクル、動機、記憶、社会資本などがあります。率直にいうと、脳科学発達心理学など様々な学問領域をつまみ食いしているような感がありました。ただ、本当の問題は、成人教育は他領域のつまみ食いかもしれないと指摘する先にあると考えています。

私は、最近、研究者でない一般人が、理論や研究成果をどのように使っているのかを知ること、またどのように使うべきなのかを考えることが、重要な問題ではないかと考えています。私の周りにはメンタリストDaigoが好きな人がパラパラいます。また、私も時々ビジネス系Youtuberを見ています。彼らは、心理学の論文や経済学の理論をわかりやすく説明し好評を得ています。メンタリストDaigoさんも私なんかよりは遥かに専門領域に通じているのでしょうが、心理学の研究者とはいえないでしょう。社会には、理論を紹介する一般人の媒介者がいて、その媒介者による一定の教育作用というものがあるのではないでしょうか。成人教育の領域が構造上、他領域からの成果を利用し組み立てられる学問領域ならば、その成果の利用方法を反省的に見直すことで、社会の中で理論がどのように使われるべきかという面を考えるヒントにもなるような気がしているのです。いずれにせよ、理論や研究成果を「作る」という側面でなく、「利用する」という側面にも目を向ける必要があると考えています。

また、成人教育理論と自己啓発との近接性も気になっています。上記の本の参考文献に自己啓発系の本が上げてあるのは結構驚きました。ただ、まだまだ前半ですので、一応、最後まで読んでみたいと思います。

今回はここまで。健康に気を付け、まともな精神をもって生きていきましょう。

言語と行為

久しぶりに哲学の本を読みました。

言語と行為

言語と行為

 

そしてこれら失敗に終わる事例においてなされた発言については、それを偽であるというべきではなく、むしろ一般に不適切(unhappy)であるというべきであろう。そこでこの理由により、遂行的発言がなされた際に何かがうまくない、または、何かがうまくはこんでいないといわれ得るようなその何かに関する理論を不適切性の理論(the doctrine of the Infelicities)と名付けよう。(p.25)

『言語と行為』は、昔、私が勉強していた現代思想系でもよく言及される本です。必要に迫られ一部を読んでいるに過ぎませんでした。少し思うところがあり、再び手に取ってみたのですが、久しぶりに興奮しながら読んだ哲学書となりました。

この本は、事実確認的(コンスタティブ)発言と行為遂行的(パフォーマティブ)発言の違いについて主張した本だと考えていました。それは誤りではないのですが、この本の凄さは、行為遂行的発言の発見と同時に、「真/偽」には還元されない「適切/不適切」という領域を発見したことだと思います。本の中に出てくる例でもありますが、何の権限もない人が、ある船を名指し、「この船を〇〇号と名付ける」と言ったとします。この文自体は偽でありません。でも、この言語行為は、発言者が権限なきゆえに、不適切であるといえます。本の中では、日常言語の細かな分析をしつつ、様々な「適切/不適切」が分析されていきます。

日常生活で、「言っていることは正しいけど、適切な発言ではないな」と思うことは多くあります。比喩的な言い方ですが、適切/不適切という視点を得ることで、日常のざらざらした地点に着地した感じを得ることができる本となっています。