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テアトロン

ノンフィクションマラソン、73冊目は『テアトロン』です。

要するに演劇は客席なのである。演劇とは「わたし/わたしたち(観客)の知覚の場」であり、演劇の実質とは「わたし/わたしたち(観客)の受容体験」なのだ。(p.110)

この本は、著者の高山氏と演劇との出会い、「テアトロン」(ギリシア語で「客席」を意味する。)という概念を中心とした著者なりの演劇史の読み直しが行われるのですが、本の前半に「Jアート・コールセンター」という社会的な実験の紹介がなされています。この記事ではそれについて触れるとともに、私がこの本でどの点を面白いと思ったかという点を述べたいと思います。

「あいちトリエンナーレ2019」の展覧会「表現の不自由展・その後」では、従軍慰安婦等の表現を巡り激しい抗議活動が行われました。特に電話での抗議(電凸攻撃)が厳しく、愛知県職員の心労が限界にまで達したそうです。そこで、アーティストが苦情電話を受ける「Jアート・コールセンター」という実験的な場を作り、苦情電話を受ける試みがなされました。

この本によれば、「コールセンター」という一種の「装置」は、次のような特徴を持った場でした。

  • 展覧会では、展示物が展示され、観客がそれを見るという関係が前提となる。一方、コールセンターでは、観客からの暴力的ともいえる言葉を聴くという関係が出来る。
  • 演劇では観客に声を届けるということに主眼が置かれるが、電話では2つの異なる声が行き来する場となる。
  • 電話を受けること自体が一種のアートであり、アーティストはコールセンターでいわば受け手を演じている。
  • コールセンターは、電話対応しているアーティストの声を、別のアーティストが聞くという場となっている。

コールセンターで苦情の電話を聞く中で、著者は抗議してくる人達が、自分の主張に対する「正しさ」を疑っていない点に気づかされます。それと同時に、アーティストが美術展を守る(警備する)という立場をとることの是非という点についても自省を行うことになります。

高山氏に最も影響を与えたのは、ベルトルト・ブレヒト、特に彼の教育劇です。私は、ブレヒトについて、観客を劇に「参加」させることで、演者・観客の間にある固定的な関係を破壊することを意図した劇作家という理解をしていました。それに対し、高山氏がブレヒトから継承したものは、「参加」ではなく、演者と観客の関係を交代させ別の視点から物事を見させる「知覚経験の変容」ともいえる視点です。まず、このブレヒト読解が、私にとって大変面白かったです。そして、先ほどの「コールセンター」の話を踏まえると、アーティストが声の受け手の側になることで、確かに一種の知覚変容が起きているのでないかと思いました。

最近、よく情報発信ということが言われます。ブログでの発信も情報発信の一種ですが、ネットの世界では自分の考えが修正されない「エコチェンバー現象」が起きています。テアトロン(客席)の側、受容の側から物事を見るこの本の知見は、独善的な「発信」に傾きがちな現状に対する解毒剤となると思いました。