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バンクシー アート・テロリスト

 久しぶりのノンフィクションマラソン。70冊目は『バンクシー』です。

バンクシーの大型プロジェクトは、工場生産物というよりも、広告会社やイベント会社が行う一回限りのエンターテインメント・ビジネスのようなものです。それは物質的な作品を生産するというよりも、コミュニケーションをベースとした非物質的な生産物です。グラフィティやストリートアートは確かに物質的形象を取りますが、すぐに消されてこの世界から消えてしまうものなのです。(「5.4 へリングとバスキア、そしてウォーホル」から)

バンクシーという名前を聞いてどんなことを思い出すでしょうか。多くの方もそうだと思うのですが、私はサザビーズでのシュレッダー事件を思い出します。当時、よくニュースで取り上げられていましたね。

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現代芸術に詳しくない私は、この事件がアートマーケット批判というメッセージを発しているとはいえ、世論を喚起するための"一発ネタ"に過ぎないのではないかと思っていました。ただ、本書を読んで、バンクシーのアートについては、少し違った視点で考えた方がよいと考え直しました。その視点とは、現代における匿名性のあるアートやイベントを、「落書き」という視点から考えるというものです。

バンクシーは、ステンシルという手法を主に使用する、グラフィティアーティストです。というと聞こえはよいですが、他人の家の壁や公共物に勝手に「落書き」を書くわけで、当然、違法行為を行っていることになります。そのため、バンクシーは匿名を貫いており、かつ描かれたグラフィティも多くは消される運命をたどります。

ここで、少し話を敷衍してみます。先日、U-NEXTで「Qアノンの正体」というドキュメンタリーを観ました。Qアノンとは、アメリカ政府の機密情報に通じていると称する「Q」の、匿名掲示板での投稿に影響を受け、Qの思想を支持するようになった人々のことです。Qアノンが、米国の連邦議会襲撃事件に密接に関係していることが、各所で言われています。(ちなみに、このドキュメンタリーは、掲示板文化を考える上で大変面白いです。また、映像のインパクトが結構あります。)

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壁に書くという物質性と、掲示板に書くという非物質性という違いはありますが、両者とも匿名性が鍵となっており、かつ多数の人間を巻き込んでいるという共通性があります。何か時代の精神のようなものさえ感じます。

その共通点を踏まえて、なおバンクシーの特徴を指摘するならば、発しているメッセージがシンプルであることがあるかなと思います。彼のアートを「戦争賛美」と捉えることは、どんな解釈をもってしてもできないでしょう。シンプルなメッセージを多数の方法でもって伝えているような感じがあります。また、アンディ・ウォーホルデミアン・ハーストバスキアなど美術史の文脈も踏まえた作品となっているのも重要ではないかと思いました。これが匿名掲示板での議論とは違うところなのではないかと考えています。

匿名掲示板は「便所の落書き」といわれることがありました。この本は、まさにその「落書き」という太古から存在する表現が持つ面白さを、アートという観点から考えさせてくれる本でした。