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(月3回以上更新目標)

台湾生まれ 日本語育ち

ノンフィクションマラソン67冊目は、『台湾生まれ 日本語育ち』です。

 友だちの家でお手洗いを借りようとして、
―どこで電気を開けるんですか?
えっ、と友だちのお母さんが変な顔をしたのを覚えている。中国語では、電灯やテレビなどのスイッチを入れるとき「開」という動詞をつかう。「開」は直訳すれば文字通り「開く、開ける」となる。それに引きづられてわたしは「電気を開ける」と言ったのだ。(p.35)

大学に入ると第二外国語を学ぶ機会に恵まれます。西洋の言語を選んだ場合、第一外国語である英語との類似性を手掛かりに勉強をしようとした人も多いのではないでしょうか。かくいう私もフランス語を第二外国語として勉強したのですが、英語を参照する勉強法のため、英語の癖が発音等で邪魔をし苦しんだ経験があります。

また、随分前にパリを訪れたことがあるのですが、ある施設の受付で、英語交じりのフランス語のため気持ち悪いと怒られたことがあります。その受付の人は、おそらくアフリカ系の方で、私はフランス語も英語もスペイン語も話せる、ただそれらが混じった言葉は分からないという話を私にしていたと覚えています。『台湾生まれ 日本語育ち』を読んで少しそのときの経験を思い出しました。

この本は、台湾で幼少期を過ごした後、両親に連れられ日本にやってきた作家が、「自分自身のことばををめぐる遍歴」(p.276)について考察を巡らせたエッセイ集です。

台湾は、日清戦争以後、日本の植民地となります。アジア・太平洋戦争で日本が敗れた後、国共内戦に敗れた蒋介石率いる国民党が台湾の支配者となります。それぞれが、台湾で普段使用されている台湾語とは違う言語を、台湾の「国語」としました。これにより祖父母、父母、子の三代で、国語とされたものが違う事態が起きます。更に海外に移住しその土地での言語を使用するとなると、更に自身が使用する言語が混交状態となります。

特に「ママ語の正体」という、筆者の母の日本語について書かれた章が面白いです。
引用箇所は、幼い頃、筆者が、家庭内で使われていた台湾語と混交状態となった日本語を外で使ったときのエピソードです。言語の混交状態が具体的に記載されていて、確かにこの日本語を聞いたときの「普通」の日本人の違和感は理解できます。また、この混交状態が日本語表現の新たな可能性を開くことにもなるという点も同時に理解できる気がします。「電気を開ける」という表現を「普通」の日本人はすっと思いつくことはないでしょう。

私の第二外国語経験は自ら望んだ学習の結果ですが、多くの台湾の人にとって国語は強いられて習得した言語だと思います。そこには、国語をうまく使えない苦痛や心の痛み、そしてそれと相反する言語への一種の愛情もあったでしょう。言語は国家権力と結びつくものですが、国家が定める言語のありようを超え、言語そのものを愛することができるのか、この本はその問いに自身の体験から答えようとしているように思えます。

(備忘のため)

tsubosh.hatenablog.com