今週の「俺通信」、始まりますよ~。
引っ越し先の亀有にも少し慣れてきました。本当に久しぶりに銭湯なるものに行ってきました。画像は、スーパー銭湯「明神の湯」です(ここは初めてでした。)。コロナ禍なので、色々大変なんだろうなと思います。湯の効果が出たせいか、帰宅後、少し疲れが出ている状況です。
さて、最近、Netflix独自配信コンテンツ『クイーンズ・ギャンビット』を見たのですが、とても面白いドラマでした。
このドラマのテーマは、次の記事(「『クイーンズ・ギャンビット』世界中を熱狂の渦に巻き込んだ、新世代のビルドゥングス・ロマン」)にもあるように、孤児である主人公べスのチェスを通じた成長です。
しかし、彼女の成長は、様々な経験を通じてステップアップしていくような安全なものではなく、文字どおり<生きていく>のための闘いであり、狂気を裏側に秘めた危険な道行でした。
そもそも、ベスは何故チェスに熱中したのでしょうか。それは、チェス盤の中の動きであれば、彼女は万事コントロールできる才能と自負があったからです。チェス盤は、劇中、彼女の理想の自己を可視化する役割をしているともいえるでしょう。しかし、チェスの対戦相手が強くなるにつれ、また自身の私生活が様々な苦難に見舞われるうち、ドラッグ、酒という極度に不合理なものに依存せざるを得なくなります。チェスという合理的なゲームを支える点が、不合理なもの、自己がコントロールができないものだという矛盾が、劇中、これでもかと描かれます。
では、ベスが最も渇望しつつも、彼女にとって最も不合理といえるものは何でしょうか。それは、他人であり、他人を信じることです。べスを捨てた母親との関係、そして母親が幼いベスにかけた呪いの言葉(人は結局は孤独である、男を信じるな)を超え、べスは最後、他人の助力に気づきそれを受けるという、本当にささやかな、しかし決定的な成長を果たすのです。(ちなみに、主演の女優さんのインタビューも見ましたが、この作品の特徴を正確につかんでいて感心してしまいました。1分37秒あたりからみてみてください。)
このドラマのような成長の描き方は、あまり見たことがなく、世界の最先端のドラマの底力を見た感じでした。プロットだけでなく、絵もすごいです。