ノンフィクションマラソン、69冊目は『マウス』です。
しゃべりは疲れたよ。リシュウ、もうお話はおわりだよ…。(p.296)
この本は、著者のアート・スピ―ゲルマンが、アウシュヴィッツの生存者である父親ヴラデックの人生を聞き書きしたマンガです。
著者の父親、ヴラデックは、チェンストホヴァという、ポーランドのドイツ国境の小さな町に住んでいたのですが、アンジャという女性と出会い、ソスノヴェツという町に引っ越します。アンジャの家族は裕福で、ヴラデックは繊維工場を任されますが、ドイツがポーランドを侵略・支配します。ユダヤ人であるヴラデックとアンジャは、ゲットーでの生活や潜伏生活を経て、最終的にアウシュッヴィッツに送られることになります。
このようにヴラデックはいわば歴史の証人ともいえる人生を送ったわけで、その人生自体も興味深いものです。しかし、私は、ヴラデックと著者との私的なシーンの方が印象に残りました。ホロコースト経験を持つ父親に対する畏れや反発を抱きながら、等身大の欠点もある1人の人間がどうホロコーストを生き延びたのか、筆者が息子として父親に聞き書きをする姿がとても興味深かったのです。
筆者は、聞き書きを行う中で、父の性格、特に吝嗇さや頑迷さに辟易します。それだけであればよくある父-子の葛藤であるともいえますが、そこにホロコーストが影を落とします。たとえば、筆者は、ヴラデックの後妻であるマーラに、こう悩みを語っています。もちろん、ユダヤ人がケチというのは完全な偏見なのですが、筆者は自分の表現が社会に及ぼす影響まで考えてしまうのです。
「いま描いている彼についての本のことで気になることがあるんだけど…」
「ある意味では、彼はよく偏見をもっていわれるケチなユダヤ人のカリカチュアのそのものなんだよ」(p.133)
歴史を極めて私的な事柄や体験を通して知ること。その面白さを実感した1冊でした。