沈黙、発話、発達~映画『デトロイト』を活動理論で読み解く(前篇)

本稿では、フィンランドの教育哲学者ユーリア・エンゲストローム(Yrjö Engeström)が提唱する文化-歴史的活動理論(本稿では「活動理論」と短縮します。)について『拡張による学習』を中心に紹介するとともに(前・中篇)、2018年1月に日本公開された『デトロイト』(原題:Detroit、キャサリン・ビグロー監督)に即して活動理論のポテンシャルを検討したいと思う(後篇)。

 

1.活動理論とは ~『拡張による学習』から

 1.1 日常的な「学び」の諸相から

 (1)受験勉強と会社での学び

 活動理論は難解なためイメージがつかみづらい。活動理論を紹介する前に、まずは日常的な面に即して「学ぶ」という行為を振り返ってみたい。

 まず受験勉強の場面を考えてみよう。受験勉強では、過去問をただ漫然と解くだけでなく、問題が一定のパターンを持って出題されることを把握することが重要だとよく言われる。また、理解を深めるため、パターン化した知識を、教科書に書かれている記述と突き合わせて体系的理解を行うこともよく行われる。このように、個別事案をグループ化し、整理・体系化することは、学びの大事な要素の1つであろう。

 知識の整理・体系化は、会社などの労働の場にも見られる。実務でよく起きる事例や特筆すべき事例を記録し、それらを整理したマニュアルを作成する。そして、このマニュアルと業界の標準的な基準などを照らし合わせ、ブラッシュアップを行っていく。標準から個別案件へ向かう場合(演繹的アプローチ)もあれば、個別案件から標準へ向かう場合(帰納的アプローチ)もあるが、個別知識をパターン化することや整理することの重要性は、受験勉強と同じである。

 しかしながら、会社での学びには、受験勉強には還元されない要素がある。受験勉強であれば、個人の能力に限界があるという側面はあるが、効率的に勉強を行い、勉強時間を増やせば、多くの場合合格を勝ち取ることができるだろう。ただ、会社での学習はそうはいかない。受験勉強は個人で行うものだが、会社での学びは会社という組織(集団)の中で行うものだからだ。どれほど業務を効率化し、労働時間を増やしても、目標設定(例:どのような商品を売るのか)を誤れば全てが無に帰してしまう。受験勉強には正解があるが、実務には正解がないのである。また、会社は役職や部署によって知りうる知識に大きな違いがある。情報の非対称性が避けがたく存在するため、調整の仕事が必要となる。企業体が大きくなればなるほど、調整作業はより重要となる。各部署の調整を行えるようになることも、会社における学びの重要な側面であると言えるだろう。

(2)学びと矛盾

 (1)では受験勉強と会社での学びとを比較した。ただ両者とも学びを突き詰めていくと同じ問題に突き当たる。それは、なぜ学ばなければならないのか、学ぶことが自分にとって、社会にとってどのような意味があるのかという問題である。

 違法行為を行っている会社が隠蔽のためのマニュアルを作成していたという事例がある。どの会社も違法行為を表立ってよしとすることはなく、法にのっとって業務を行っていると主張するだろう。しかし、ルールを遵守すると多大な金銭的負担が生じる場合がある。そこでルールを遵守せず、問題が発生しても隠蔽を組織的に行い、その方法自体を精緻化させることもある。個別事案を整理し体系化を行う点は(1)で紹介した学びと全く同じである。ただ、向かうべき目標が悪しき目標なのである。ここまで極端な事例でなくとも、学びの意味の問いを発生させるという意味では、受験勉強も同様の構造を持つ。高校の勉強は、間違いなくそれ以後の人生で糧になるものだ。一方、受験勉強は選別という側面を持つ。受験勉強の選別の側面に嫌気をさし、多くの若者が勉強の面白さに気づくことなく、それを忌避してしまう。このように、意識的であれ無意識的であれ、自身が行っている学びの意味について考える行為は、知識を整理し体系化することを超え、学び自身の前提条件を問うメタ的な行為となる。

 学びの場でこのような疑問や矛盾が生じるのは、学ぶ行為が実験室の中で行われるものではないからである。学びには必ず歴史的・文化的な文脈が存在する。日本での受験勉強を例に上げるなら、学歴の取得が立身出世につながるという文脈がある。立身出世という社会的文脈と学問自体の面白さという普遍的価値が逆方向のベクトルを向くとき、矛盾が生じる。当然ながら同じ受験文化でも韓国と日本では矛盾の現れ方が異なり、日本でも昭和40年代と現在とは矛盾の現れ方が異なるであろう。疑問や矛盾を克服するためには、問題が生じるところの歴史的・文化的な文脈を具体的に把握する必要があるのだ。 

 今まで学びについて日常的な諸相を考えてきた。では、この諸相を活動理論の観点から捉え直すとどのように見えてくるだろうか。

 (中篇はこちらから)

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