最近、社会教育(生涯教育)関連の書籍を読んでいて、この本が多く言及されていることから、興味を持ちました。
提起されている論点は至ってシンプル。
教育は「オシエ・ソダテル」ことであり、未成年が対象となる行為のはずである。なぜ大人が生涯教育の対象とならなければならないのか。社会教育なり生涯学習は、「正しき官が民を指導する」という、官尊民卑の思考、行政優位の思考を隠し持っているのではないか。現在(1980年代)の「市民文化」はすでに官に指導されなくてもよい段階まで成熟度を増しているのに、なぜいまさら教育されなければならないのか、というもの。
ほとんど全編に賛成なのだが、この著書のなかで社会教育と対比的に描かれている、市民が主体となって作りあげていく「市民文化」が具体例に乏しく、フレームワーク(骨組)の段階に留まっている感がある。「市民文化」がデフォルトで問題ない状態にあると考えるのは、すこし楽観的すぎる見解ではないかと思う。よりよい「市民文化」が作り上げられていく"過程"の研究が必要ではないかと考えた次第。