実学上等!

前回のエントリ書いてから、いろいろ考えていました。


このブログの方針としては、
あまり人を批判せず、ある特定の個人・作品を論評する場合、
その方のなるべく高い「鞍部」を捉えたいと思っています。


内田さんのエントリを読み返してみて、
ゼミ生の方との信頼関係があれば、特に問題ない気がしました。
私の問題意識によって読解が多少ずれてしまったかもしれません。
(ちなみに内田さんは、カミュ論が斬新でした。
 ああいう読みをする人にはまだ出会ったことがありません)


高等教育をめぐる制度設計と
その制度のなかで生きる教官・学生の、
ホンネ・タテマエ入り混じった、
制度運用の現状については、ここでは一端おくとしましょう。


たぶん、私が違和感を感じているポイントは、
実学系(人文系?)の保護貿易主義なのです。
なぜ自らの学問を守るため、保護貿易を行うかごとく、
権力作用を発動させながら、自らを守ろうとするのか。


職業教育、いいじゃないですか。
どしどし大学に導入すれば。
学生はオプションが増えるわけですし、何がまずいのでしょうか。


確かに職業教育的な科目に、学生の人気が集中し、
一般社会の価値観に「堕した」存在に、
大学はなってしまうかもしれません。
(現状でも既にそうなっている気がしないでもないですが…)


ここは考えどころで、中世の大学のように
俗世から離れた学究の場として、
大学を定義づけることも、理屈上は可能でしょう。
(現状はユニバーサル段階に達していますが…)


しかし一般の社会的な価値観の流入は、非実学系にとって、
腕の見せ所でもあるのではないか、
という考えをぬぐい去れないのです。


実学上等!」という気概で、
「実社会に役立つとされる」学問で紹介された知見を踏まえつつ、
もっと広い視野で、もっと深い思考を、
大学内で展開されてはどうでしょう。
また大学内に知見を広めるだけでなく、
一般社会にも広く知見を公開し、存在感を出したらどうでしょう。
(一般にこれを「アドボカシー」といいます)


確かにこの提案は、学生や学問の可能性にかけた提案です。
理想論にすぎるかもしれません。
しかしこれ以上、現状のパターナリズムにのっとった理想論は、
限界があるのではないでしょうか。
(「学生はかくあるべし、そのため保護し、教育を授ける」といったような言説です)