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(月3回以上更新目標)

三歩後退一歩前進(その5)

前回の「三歩後退一歩」シリーズ記事の最後に、「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」ことが、私のオプセッションとして憑りついていることを紹介しました。このオプセッションという言葉でいつも思い出すのは、ライムスターの「Once Again」という曲です。この曲に次のような箇所があります。

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「夢」別名「呪い」で胸が痛くて
目ぇ覚ませって正論 耳が痛くて いい歳こいて先行きは未確定

この曲は、不惑を超えたはずの私のような人間にぐっと来るものがあります。まさに私も「いい歳こいて先行きは未確定」だからです。そして、「夢」別名「呪い」というリリックも心を揺さぶります。ただ、楽曲の素晴らしさとは別に、この箇所にはちょっとした違和感も感じていました。その違和感とは「夢」という言葉についてです。

あなたの夢は何ですか?―――もし、今、このように尋ねられたら、私は絶句してしまいます。無責任に夢を語ることができた幼い頃ならいざ知らず、今は仕事や日々の生活をこなすことで精一杯だからです。ただ、私が大学生、大学院生、そして働き始めたころにそう聞かれていたとしても、おそらく絶句しただろうなと思います。

「野球が好きだから野球選手になりたい」、「社会正義を実現するために弁護士になりたい」、「ギターを趣味として続けてきて、一度でよいでもよいから仲間と一緒にビックなステージに立ちたい」、このような発言に「夢」という言葉がふさわしく思えます。残念ながら私はそのような立派な夢を持つことができませんでした。ただ、いくら無為に過ごしていたとはいえ、全く日々、何の意志を持たず過ごしていたわけではありません。私にとって問題だったのは、自分の思いや試行錯誤が「夢」という形に収斂していかないことだったのです。

近代哲学の祖ともいわれるルネ・デカルトは、困難な問題に直面したとき、問題を出来る限り分割せよと言います。その言に倣い、「夢」という概念を分割してみると、「欲望」と「社会的意味」とに分けられるのではないかと考えています。そして、この「夢」とは、欲望が社会的に可能な意味(弁護士になる、野球選手になる等)を志向している状態と言えるのではとも考えています。「夢が世界征服」という冗談がありますが、裏を返せば夢は現実的なものでなければならないという社会的前提があるのではないでしょうか。

話の出発点に戻りましょう。「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」というと、「そんなことをやることに何の意味があるのか」があるのかと、もう一人の私がささやきます。私は、その社会的意味を答えられません。しかしフラストレーションがたまります。もう一人の私の声、つまり社会的意味を優先させ、欲望を抑える方法もあるでしょう。でも今、私は、少しこの欲望に忠実になってみようかと思っているのです。

社会的意味からずれた欲望を形にするためには、自分の欲望の在り方を把握することと、それを実現するために頭を使うことしかないのかなと思います。昔の自分に足りなかったのは、頭を使うということだったかもしれない、と今では思います(そして少しの勇気も足りませんでした。)。

読みかけの本で恐縮ですが、千葉雅也さんのベストセラー『勉強の哲学』に紹介されている「欲望年表」も、頭の使い方を考えるために役に立つかもしれないと考えています。話が全く進みませんが、次回は『勉強の哲学』をきちんと読み終えて、(私の考える)頭の使い方について書いてみたいと思います。

最後に、このシリーズ、ちょっと学問的な話に寄りすぎている気がします。食べ物や服、(私が実は好きな)プロレスの話なども振り返りたいです。これらの嗜好も私自身の感性の多くを規定していると考えていますので。

ぼくらはガリレオ

 

ぼくらはガリレオ (岩波現代文庫)

ぼくらはガリレオ (岩波現代文庫)

 

自分の住んでいる国の産業や科学が外国よりもとても遅れているときには、外国の産業や科学を効果的に模倣する人材が大きな成果を挙げます。しかし、一度先進国の仲間入りをしてしまえば、いろいろなタイプの人びとが知恵を出し合うほうが創造的な社会を作り上げるのに効果的だと思います。科学の歴史はそういうことを示しているとも思うのです。(p.232)

 このノンフィクションマラソンでは、自然科学関連のノンフィクションにもチャレンジしたいと思っています。20冊目の今回は、仮設実験授業の基本書ともいわれる『ぼくらはガリレオ』です。ちなみに仮説実験授業とは、次のようなものです。

仮説実験授業 - Wikipedia

高校の物理の1回目の授業で、落下運動を教わったことをよく覚えています。そこでは、まず法則を教わり、それを問題演習で応用する方法が取られていたと思います。ただ、先に法則ありきでなかなか具体的なイメージがわいてきませんでした。法則は知っていても、重いものの方が軽いものより速く落下するイメージを払拭できなかったのです。

この本では、浮力の実験、振り子の実験、坂から物を落とす実験という様々な実験を行います。また、真空の有無、原子論とキリスト教との関係などの思想的な議論を紹介し、直観的には正しいが科学的には誤っている考え方を一つずつ検討していきます。この本により、落下運動やその法則を、直観やイメージの次元で理解することが(少し)できるようになったかなと思います。

福島の原発事故以降、自然科学の基礎知識は、生きていく上で、また、人を傷つけないためにも必要になっていると考えています。大人も、児童、そしてヤングアダルトの科学のノンフィクションによって、本当は理解していない科学の基礎を学べるのではないかとも思います。またまた提案になってしまいますが、児童向け科学ノンフィクションの良書を大人向けに紹介するような本の企画は面白いのではないでしょうか。そんな本があれば是非読んでみたいです。

謀反の児

 ノンフィクション100冊マラソン19冊目は、宮崎滔天の評伝です。

謀叛の児: 宮崎滔天の「世界革命」

謀叛の児: 宮崎滔天の「世界革命」

 
要するに彼ら[宮崎弥蔵・寅蔵]は、福沢流の進歩主義に対して近代批判を、大井流の外患「利用」の日本革命論に対して世界革命を「目的」とする中国革命論を、ナショナリズムにコスモポリタリズムを対置した。これは、いわゆるアジア主義とは全く位相が異なるものであって、むしろ遥か後世に登場する言葉を使えば、「第三世界革命論」に近接している(p.94)※[]内はブログ執筆者記入、ちなみに宮崎寅蔵が宮崎滔天である。

戦前のアジア主義が現在を考える上で重要であることは、私が大学院生の時から繰り返し聞かされてきました。たまたま行った本屋で宮崎滔天の評伝を見つけ、読んでみることにしました。ちなみに宮崎滔天は次のような人です。

宮崎滔天 - Wikipedia

購入時はアジア主義に関する本かと思っていましたが、読んでみて違うことに気づきました。この本は、コスポリタリニストとしての宮崎滔天を前面に出しています。筆者が取り出した宮崎滔天の論理は、①富国強兵に代表される「上からの近代化」に対し、経済格差をなくし民衆の自治を目指す路線を主張する、②民衆の自治を実現させるための「根拠地」として中国がある、③中国の革命を支援することが民衆が自立する「世界革命」への端緒となる、というものです。「上からの近代化」に抗する論理は鹿野政直さんがいう「民間学」に似ている気がしますが、この本で紹介される滔天の行動範囲はアジア各地に至ります。

tsubosh.hatenablog.com

上記の論理を支える滔天の"気質"としての「コスポリタリズム」がこの本では強調されています。また、その世界性が、横井小楠からキリスト教に至るまでの、熊本の思想的磁場によって育まれたことが本の前半部分で書かれています。個人的にはこの箇所が興味深かったです。熊本バンドから神風連までの振れ幅を持つ、維新前期の思想的るつぼとしての熊本は面白いです。

私が東京に来て驚いたのは、コンビニのレジが、イスラム圏からも含めアジアから来た人が多いということです。日本とアジアとの関係は、滔天の時代よりも深くそして複雑化しています。時代は変われども、どんな人と接するときにも「コスモポリタリスト」の心を持ち接したいものです。

三歩後退一歩前進(その4)

随分と若い友人に「デリバリーお姉さんNEO」というドラマが面白いと紹介されていたのを思い出し、Gyaoで見てみました。無料放送されていた第1話と第3話を見たのですが、第3話にちょっと考え込んでしまいました。私は、今では太ってコロコロしていますが、昔は痩せていて片思い体質でした。考え込んでしまったのは、今では埋もれてしまったその気質を刺激されたからです。

フランツ・カフカに「掟の前で」という短編があります。短いので未読の方は、まずは読んでください。

カフカ『掟を前に』(森本誠一さんのHPから)

この話を初めて読んだのは、高校生の頃だったと思います。正直、よくわからないなというのが当時の感想でした。ところが、30代半ばのある頃、突然、この短編が実感できるようになりました、「そうだ、この短編に描かれていることは、片思いと後悔の構造なのだ」と。

話を飛ばし過ぎました。何故そう読めるか、話の筋に即しながら説明します。話の筋は、次のようにとてもシンプルです。

田舎から人がやってきて、掟の前の門を通過しようとします。すると、門の前に門番がいて、今はまだ入れることはできない、入れるようになったら入れてやる、と言います。田舎の人は、いろいろ試行錯誤しますが、全く甲斐なく、死を迎えます。死の直前、田舎の人は、門番に素朴な疑問をぶつけます、誰もが掟を求めるはずなのに私以外なぜここに来なかったのかと。すると、門番は、なぜならこの門はお前だけのための門だったからのだ、と言い門を閉めます。

田舎の人はどうすべきだったのでしょうか。私は、無理やりでも門を突破すべきだったと思います。田舎の人に必要だったのは懐柔することではなく決断することだったと思うのです。決断しなかった人間には後悔が襲います。その後悔は、私こそが(掟を知る)資格があった人間だったかもしれない、という痛覚を引き起こします。その認識が真だったかどうかは、今となっては、決してわからないのですが。

昨年、大ヒットした映画に「君の名」はという映画があります。この映画は主題歌が「前前前世」であるように「運命の出会い」をテーマとしていますが、「掟の前で」は「『運命の出会い』への出会い損ね」をテーマとしているといえるかもしれません。この「運命の出会い」に出会い損ねた者の後日譚、それこそが「デリバリー姉さんNEO」第3話のテーマだと思うのです。2017年8月5日時点では、Gyaoで無料放送しているので、見られる方は見てください。

gyao.yahoo.co.jp

ドラマの中の表現を使えば、「デリバリーお姉さん」第3話は「青春も赤面するほどの恥ずかしさ」あふれる話です。プロポーズを控えた依頼人が、高校3年夏のぐだぐだになってしまった告白が心のわだかまりになっているので、きちんと振られたい、そのため、告白場面を完全再現してほしい、と便利屋に相談に来ます。エリー(便利屋のメンバー)が告白相手役を務め、依頼人は過去の告白を完全再現し、きちんと振られることで目的を達成します。そこで、奇妙なことが起こります。告白相手役のエリーが、再現劇とわかっていても、依頼人に恋心を抱いてしまうのです。

「掟の前で」に引きつけていうならば、門をくぐれなかった人がその場面を全身全霊で演じるのです。その光景はかなり滑稽でしょう(「デリバリーお姉さん」第3話も、私は、はじめ大爆笑していました。)。しかし、その劇が別の人に密かな影響を与える光景が、緻密なプロットに従って描かれるのです。

この誤配の構造を、その名も「青春ゾンビ」さんが熱量をもって、次のブログで紹介しています。

hiko1985.hatenablog.com

私は、このエントリでは「掟」を「幸福」の意味に理解しましたが、「掟」を「理想」と解しても、同様の後悔の構造として読み取れると思います。「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」ことが、私のオプセッションとして取りついており、これをなんとか成仏させたいと思っています。1995年あたりの話をする前に、このオプセッションについて先に語らないといけませんでした。

ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

ノンフィクションマラソン18冊目は「ナチスドイツと障害者『安楽死』計画」です。重い、しかし大事なテーマです。

【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

【新装版】ナチスドイツと障害者「安楽死」計画

 

ハンス・ペーターは興奮してきた。「現代は安楽死や遺伝子カウンセリングの話ばかりだ。知的障害の人間を世話するのはどれだけ金がかかるとか、サービスはそれを最も有効に利用できる人間に優先的に回すとか。生命の質や経済学の話。」
「俺たち障害者は言ってやったよ。『ちょっと待てよ。あんたたちが話しているのは、私たちのことなんだよ』って」(p.327)

原題は「裏切られた信頼によって;第三帝国における患者、医者そして殺害の資格」(By Trust Betrayed: Patients, Physicians, and the License to Kill in the Third Reich)
です。ナチス支配下で障害を持った方の組織的大量殺戮が行われました。悪名高きT4作戦です。この本では、T4作戦の概要、T4作戦に対する医者、法曹関係者、教会関係者の態度が、自身障害を持つ筆者によって、自国アメリカの事情にも触れつつ、わかりやすく書かれています。

T4作戦 - Wikipedia

医者には「ヒポクラテスの誓い」というものがあるとのことです。

医の倫理の基礎知識|医師のみなさまへ|医師のみなさまへ|公益社団法人日本医師会

患者に対し害をなさずベストの診療を施すという医者の誓いの下、患者は医者を信頼し治療を受けます。ナチス期、多くのドイツの医者は、積極的とは言えないまでも、大した抵抗をせずT4作戦に関係します。患者からの信頼を医者は「裏切った」わけです。何故、そうなってしまったのかを、思想的観点(優生学)、経済的観点、そして、医者と患者とのコミュニケーションの観点から筆者は問います。

また、このT4作戦に反対した人々がいたことも、本書では紹介されています。特に抵抗が強かったのが教会関係者です。反対の論陣を張ったフォン・ガーレン司教の説教の中に「汝殺すなかれ」という聖書の一節が出てきてはっとしました。狂気に満ちた社会の中で正気を保つ効用を、潜在的に宗教が持つのかもしれないなと感じた次第です。