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グリーンゾーン

グリーン・ゾーン」(ポール・グリーングラス監督)を観てきました。

まず、私は手持ちカメラ、ブレブレ映像大好きなので、どうしてもこの手の映画には好意的になってしまいます。(ちなみに「仁義なき戦い」も大好きです。)

この映画は、イラク大量破壊兵器を探す米軍人の姿を通して、イラク戦争について考えさせる「社会派」の映画と紹介されています。たぶん、これを聞いた人は観る前から、ある感想を持つと思います。「今頃、何言っているんだ」と。大量破壊兵器が存在しなかったことは、いわば周知の事実であり、それをテーマに映画を取ることに何の意味があるのかと。

でも私はこの映画を大変興味深く観ました。何が面白いのか。"ミクロな場面設定"が面白いのです。

映画の前半で、化学兵器を探しに、主人公の部隊が、ある工場に突入します。しかし部隊が突入する工場では、略奪が起きており、盗品を持った大量のイラク人が部隊に向かって走ってきます。画面上に軍人と民間人が入り乱れ、一瞬画面上で何が起きているか、観客は映像を追うことが難しくなります。現場の米兵もこんな知覚的な混乱を感じたのかと、一瞬、感じてしまいます。

別のシーンを例にあげましょう。アメリカ軍の車両が、水を求めるイラク人の群れに止められます。隊長は「進め、止まると撃たれる」と言います。その言葉の後で、再度、カメラはイラク人に向けれらます。不思議なことにイラク人が急にテロリストに見え始めます。何か起こるのではないか、狙撃が起こるのではないかと、映画の観客はひやひやします。

このようにこの映画監督は、ミクロな場面設定作りが非常にうまいのです。

この物語は現場の「良心」的な米兵の視線に常に寄り添う形で進行していきます。逆にこの映画の限界は、米兵の視点でしか描けないことです。つまり「殺す側」の視点に寄り添い、「殺される側」の視点が入り込まないのです。ただ監督はそのことを痛感していたからこそ、最後、イラク人に狙撃をさせたのではないかなと感じました。