Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

『ワンダーウォール』雑感

www6.nhk.or.jp

話題のTVドラマ『ワンダーウォール』を見ました。『ワンダーウォール』とは吉田寮廃寮問題を扱ったNHK京都放送局制作のTVドラマです。脚本が渡部あやさんということで、以前見た『その街のこどもたち』のことも思い出しました。

www.youtube.com

『ワンダーウォール』『その街のこどもたち』両方のドラマに共通するのは、「夜」が魅力的に描かれている点です。

その街のこどもたち』では、阪神淡路大震災慰霊祭前の、2人の主人公(佐藤江梨子さんと森山未來さん)が神戸の街を歩きます。2人の会話を通じて、人には伝えることができなかった心の傷が浮かび上がってきます。『ワンダーウォール』では、冒頭に、主人公のキューピーが四条河原町のバイトを終え、近衛寮(吉田寮)まで戻るシーンがあります。そして、寮生達が学生課に団体交渉しにいった後の、それぞれの寮への思い、今の社会への想いを話しあいます。

両作品で描かれる「夜」とは何なのでしょうか。それは、迷いや、試行錯誤、葛藤を許す時間なのではないでしょうか。

両作品とも「夜明け」のシーンで終わります。いくら迷いの中にいようが、学生はいつか社会の中に出ていかざるを得ません。彼ら・彼女らが入っていく「昼」の世界は、吉田寮を壊すような経済的合理性が貫徹した世界でしょう。寮がなくなることは、あの「夜」の時間がなくなることを意味します。この社会の中に、『ワンダーウォール』が描く「夜」を許容する余白がもっとあれば、より人に優しい社会になるのになと思います。

雑駁ですが、『ワンダーウォール』を見てそんなことを感じました。

方丈記私記・方丈記

ノンフィクションマラソン28冊目、29冊目は『方丈記私記』『方丈記』の2冊です。実はこの文章は、「1冊の本を書くための「本の読み込み方」」という講座に参加して書いたものです。講座からは大変な示唆を受けました。それを含め、最近考えたことは別の記事に譲るとして、まずは書いた文章を記載します。

www.asahiculture.jp

ーーー

方丈記私記』私記

方丈記私記 (ちくま文庫)

方丈記私記 (ちくま文庫)

 
方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

方丈記 現代語訳付き (角川ソフィア文庫)

 

方丈記私記』は、堀田善衛東京大空襲に逢ったときの経験がきっかけとなって書かれた本である。一般に『方丈記』は「無常」を説いた本であると言われている。堀田もそのような読み方に影響され『方丈記』に興味を持てないでいた。東京大空襲当時、堀田の「親しい女」が深川あたりに住んでいた。深川は空襲による火災が激しく、堀田はその女性が火に焼かれたことを確信する。その時、彼の脳裏に「火の光に映じて、あまねく紅なる中に、風に堪へず、吹き切られたる焔、飛ぶが如くして一二町を越えつつ移り行く。その中の人、現し心あらむや」という『方丈記』の一節が突如浮かぶ。なぜその一節が突如浮かび自分の心を打ったのか。その問いに答えるため、堀田は自分の戦争体験を手がかりにして『方丈記』を読み直す。

読み直しの中で、堀田は長明の記述の具体性に気づく。その具体性を支えているのは、長明の野次馬根性だ。長明は用もないのに至るところに顔を出し、果ては鎌倉にいる源実朝に会いに行っている。フットワークの軽さと確かな観察眼で、長明は平安末期に起こった大火、飢饉、大地震などの記録を残す。『方丈記』は一種の「ルポルタージュ」であるとまで堀田は語る。このような『方丈記』の即物的な表現と対比的に論じられるのが、藤原定家を始めとする貴族達の和歌である。彼らが詠う和歌の中には災害の痕跡が全く見られない。あたかも目の前の現実を全面的に拒否するかのように、本歌取りに興じる。両者の表現を対照させ、堀田は次のように述べる。

 定家や後鳥羽院などの一統、朝廷一家が、悲惨きわまりない時代の現実はもとより、おのもおのもの「個性」あるいは「私」というものも捨象してしまった、いわば「芸」の世界、芸の共同体を組織し、その美学を高度に抽象化すると同時に、反面でのマナリズム、類型化をもたらすべくつとめていたとき、長明は「私」に帰った。すなわち方丈記に見る散文の世界がひらけて出て来るのである。(p.117) 

そして、堀田は、貴族達の「芸」の世界が日本の社会構造(堀田は天皇制を特に意識している。)に根を持つと考え、長明はそこに馴染まなかったことから新たな表現をなしえたと考えるのだ。

さて、今回の課題は「ノンフィクションを読み込み、それを活かした体験記を記す」というものである。『方丈記私記』を読み、その後『方丈記』そのものも読んだが、私には堀田のような『方丈記』読解はとても出来ないと感じた。『方丈記』だけ読んでいただけでは、新古今和歌集との比較など思いもつかないと思う。堀田の鋭利な読解に比べられるものでもないが、『方丈記私記』『方丈記』を読み私の頭に浮かんだことを二つほど記してみたい。一つはあるインタビューのこと、もう一つは「すみか」(住居)に関することである。

あるインタビューとは、昨年、NETFLIXで放映された明石家さんまのインタビューである。インタビューの中で、さんまは同世代の友人たちが花鳥風月に興味を持ち始めたことに気づき、自分はそうはなりたくないと述べている。「野原に咲く花を見たら踏みつけよう、鳥を見たら石を投げよう」と、さんまはインタビューの中で笑いながら語っている。さんまは、なぜ花鳥風月を拒否するのか。それは、花鳥風月は「老い」てわかるものだと彼が考えているからだ。常に「若く」あるために、彼は花鳥風月を拒否する。ここでの「老い」「若さ」は、肉体的というよりは精神的なものであろう。笑いには色々な要素がある。人をバカにしてとる笑いもある。しかし、笑いは、本質的には常識を疑い相対化するものなのではないだろうか。花鳥風月こそ笑いの対象となるはずのものなのに、それに取り込まれてしまってはお笑い芸人としての死を意味する、と彼は無意識的に考えたのだろうと私は思う。

また、堀田は『方丈記』が、世界的にも珍しい「住居についてのエッセイ」であると述べている。『方丈記』の住居の記述についてもいろいろ思うところがあった。私は今四十歳を超えたくらいの歳だが、若い頃と違って住居について考えることが増えている。知人にはローンを組んで住宅やマンションを買う人が増えている。ローンを組むと多くの人は今の仕事をやめられなくなる。住居は、人間が生きるための最も基本的な要素であるとともに、夢でもあり、しがらみや執着をもたらすものでもある。やめられない仕事を持つ人間がどこまで自由にものを言うことができるか、不安に思ってしまう。長明は組み立て式の住居に住み、極力人の力を借りず生活を組み立てる。しがらみや執着をなくすことで、長明は自由にものを語る。遂には、自らの質素な庵の生活に自分が執着しているのではないかと自問するまで、自らに対する批評精神を緩めない。このような長明の生き方は、私はとても精神的に「若い」と思う。

実は「老い」「若さ」という言葉は、『方丈記私記』の中にも出て来る。それは、長明が日野の庵について語る語り口の箇所である。「それは、何かを、何物かを突き抜けて出たことにある軽さ、軽みである。文の体としては、「老」などというものではまったくなくて、むしろ、若い、とさえ言えよう」(p.182)と、堀田は長明の文体を評している。歴史意識や散文精神という観点から『方丈記』を読んだ堀田は、私の感想に納得してくれるだろうか。ともあれ、私が『方丈記』を読んだとき最も印象に残ったのは、長明の精神的な「若さ」であり、「軽さ」であり、自由を求める批評精神だった。

軌道

前回の更新が4月末ですので、随分ご無沙汰になります。前回、上野英信の本を取り扱うと書きましたが、前言撤回して他の本を数冊紹介します。27冊目は『軌道』です。大変示唆に富む本でした。

この本は、2005年のJR西日本福知山線脱線事故について書かれた本です。そして、都市計画コンサルタントで、妻と妹を事故で失った浅野弥三一の事故後の人生に焦点を当てています。JR福知山線脱線事故とは、次のような事故です。

JR福知山線脱線事故 - Wikipedia

民営化が日本社会の主な潮流となったのは、1980年代からのことでしょう。この民営化、効率を上げ組織としてのパフォーマンスを上げることを目標としますが、組織内のコミュニケーションは上意下達が多いように思います。戦後最大規模の民営化である国鉄分割民営化は、裏の目的が国内最大規模の労働組合であった国労つぶしであったと言われています。JR西日本は、その来歴からして、経営層と現場が乖離し、経営層が現場を抑え込む構造にありました。当時TVでよく報道された「日勤教育」のシーンは、その陰湿さにより、日本全体に衝撃を与えたことをよく覚えています。

『軌道』で紹介される脱線事故当初のJR西日本の対応は、あくまで運転手が事故の主原因であるというものでした。ここには、緩みが出た現場や運転手が悪いのであって、組織、特に経営企画部門は何も悪くないという思想があります。組織防衛の意識も手伝って、JR西日本は遺族から強い反発を受けることになります。

被害者の1人である浅野は、都市計画のコンサルタントとして、行政と住民の橋渡しをする仕事をしてきていました。そして、行政の理屈を住民に押し付けるのではなく、住民の視点を重視する姿勢を貫いてきました。事故により浅野自身が被害当事者となるのですが、責任追及を脇に置き、1人の科学者としてなぜ事故が起こったのか原因を知ろうとします。個人を断罪しようとするのではなく、何度も同書で引かれる「事件の社会化」を行おうとするのです。そして最後には、遺族がJR西日本と共同で検証委員会を立ち上げるまでに至ります。このような過程を経つつ、事故原因が運転手個人の問題ではなく組織的な問題であるとJR西日本自身が認め、再発防止に取り組むことになるのです。

この本を読んだとき、浅野の「闘い」を通じて、今後日本がたどるべき「軌道」がおぼろげながらではありますが見えた感じがしました。私は、民営化を声高に主張する政治家、そしてそれを支持する人々に違和感を抱いてきました。生理的な反発感が強くうまく言語化できていない面があったのですが、この本を読んだ後、反発を覚えたのは彼らの人間観なのだと感じました。現場の人間が緩んでいるから事故が起こるという、能力に支配された単純な人間観と選良意識、それが複雑な事故原因を単純化してとらえる悪癖を生み出すのではないか。「敵」「悪者」がわかると、多くの人々は、問題を解決するというよりは、それを叩き享楽する傾向があるのではないか。
人間は意図せずエラーを起こしうるものであることを認め、組織的に対応する必要があること。事故が起きたとき、単純化を行わず、事故事象の複雑さに謙虚に向かい合うこと。このような考え方が広がり共通認識となること自体が、これからの社会にとって大きな決定的な1歩になる気がします。

三歩後退一歩前進(その9)

前回の記事で書き忘れたことがありました。せっかく東京に住んでいるので、いつかG1クライマックスを観に行きたい!なかなか、忙しくて行けないのです。

前回、大学時代に聴いていた音楽について書くと言いました。また、論が脱線してしまいますが、少し思うところがあるので、音楽そのものでなく、別の角度から音楽について取り上げたいと思います。

高校生の頃、ラジカセで音楽を聴いていたとき、よく親に「うるさい、音量を下げなさい」と言われました。これは多くの人が経験したことがあると思います。しかし、このようなことを言われたことはありませんか。「その音楽をどこで知ったの」と。

その当時は、ウザい質問だなあと思っていたのですが、今振り返ると、この問いは面白いと思います。聴いていた音楽をどのように知ったか、自分のことを思い返すと次のような感じになります。

  • 高校時代、

①部活の友人から
②洋楽好きな友人から(TOTOBonJovi etc)

  • 大学・大学院時代、

①所属していたサークルの徹夜カラオケで(岡村靖幸小沢健二THEE MICHELLE GUN ELEPHANT etc)
②音楽好きな友人の強引な紹介(クラシック音楽、ジャズ etc)
③研究の過程で聞いた曲、先輩から紹介された曲(シャンソンパティ・スミスパブリック・エナミー etc)

  • 社会人時代

Youtubeで気になる曲を聴いて、そこでリコメンドされる曲を聴いてみる。

 

こう振り返ると、学生時代までは人づてで音楽を知ることが多かったなと思います。そして、これは社会学的概念である文化資本の問題に直結するなあと感じます。また、社会人になってからは、音楽の話をしなくなったとも感じます。

こんなことをつらつら書いたのは、実は別の問題について考えているからでもあります。実は、今、どのようにしたら家事ができるようになるのかに興味があります。というのも、私、かなりの家事下手です。ただ、誰にどのように何を聞けばよいかわからず我流でかなり雑に問題を解決しています。最近は、インターネットがあるため、ある程度までカバーは可能なわけですが、家事は本質において手仕事だと思っています。画像や理屈でわからない面も多々あるでしょう。

これは仮説なのですが、家事の習得も人間関係の厚みに影響される面もあるのではないでしょうか。家庭内の情報伝播を考えると、現在は、妻-夫、母親-娘、母親-息子、祖母-娘というような流れが考えられるでしょう。もちろん、独力で解決している場合も多々あると思います。でも、そのトライ&エラーが、顕在的な知となっていないのではないかと思います。

昔、教育学に触れたとき、学校での学びを無意識に前提にしているのではないかという感想を持ちました。今、衣食住という人間の生の基本についての学びの姿について是非知りたいな、と考えています。それが、男性が家事をやるようになる社会への潜在的な支援となるかもしれないと思います。

まあ、ごたくを言わず、とっとと家事出来るようになりなさいと怒られるようなことかもしれませんが(汗)。

次回は、大学から大学院のとき聞いて衝撃を受けたブランキー・ジェット・シティーについて書きたいと思います。

三歩後退一歩前進(その8)

そういえば、今年、私は厄年でした。男性は、満25歳、42歳、61歳に、災厄に逢いやすいと言われています。迷信深くはないのですが、この頃、散々な目にあっているため、厄除けに行ってきました。

さて、満25歳の頃を思い返したとき、その頃もなんか行きづまっていたなと思います。丁度、修士の2回生だったのですが、進路にも迷っていた時期でした。四国を歩き遍路したり(徳島~高知)、友人に誘われていった先が自己啓発セミナーだったりしたこともありました(変なダンスを強制的に踊らされたような…)。それまでレールの上を歩いていた感があったのですが、そこを無理でも外れようとしてもがいていた感がありました。ちなみに、人生で初めて、おみくじで凶を引いたのもこの頃でした。

昼夜逆転した生活の中で、TVで見ていた記憶があるのが深夜にやっていたプロレスです。大学生時代、私は、たまたま見た次の試合でプロレスの面白さに気づきました。

武藤敬司獣神サンダー・ライガー新日本プロレス)VS高田延彦佐野直喜(UWFインターナショル)

https://njpwworld.com/p/s_series_00142_1_2

簡単に説明すると、新日本プロレスは最もメジャーな団体、UWFインターナショナルは打撃と寝技を中心とした格闘技スタイルを志向する団体です。この試合は、その両団体の対抗戦という位置づけになっています。

この試合、レスリング主体の静かな展開で入るのですが、途中、佐野直喜がつかまります。しかし、高田はカットに入らず、佐野が延々つかまり続けます。高田は格闘技のルールを厳守する自らのポリシーに忠実であるため、カットに入らないのです。その高田に「仲間がやられているのになぜカットに入らない」と新日側が挑発し続けます。

この試合の何が面白かったのか。それは、違うルールを持つ者同士が闘うという稀有なことが行われていた点です。そして、この試合が、ルールを厳守することと、相手側のルールに敢えて足を踏み入れること、どちらが勇気のあることなのかを見せようとする一種の劇のように、私には見えたのです。

スポーツでは単一のルールの枠内で最善が尽くされます。しかし、現実は単一のルールでは動いていません。人生が異種格闘技戦の連続だと思います。複雑な現実の中でいかに「強く」あるか、昔ほど見る機会はないのですが、プロレスを見るとそんなことを考えてしまいます。

次は、昔よく聞いていた音楽について書いてみようかと思っています。