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言語と行為

久しぶりに哲学の本を読みました。

言語と行為

言語と行為

 

そしてこれら失敗に終わる事例においてなされた発言については、それを偽であるというべきではなく、むしろ一般に不適切(unhappy)であるというべきであろう。そこでこの理由により、遂行的発言がなされた際に何かがうまくない、または、何かがうまくはこんでいないといわれ得るようなその何かに関する理論を不適切性の理論(the doctrine of the Infelicities)と名付けよう。(p.25)

『言語と行為』は、昔、私が勉強していた現代思想系でもよく言及される本です。必要に迫られ一部を読んでいるに過ぎませんでした。少し思うところがあり、再び手に取ってみたのですが、久しぶりに興奮しながら読んだ哲学書となりました。

この本は、事実確認的(コンスタティブ)発言と行為遂行的(パフォーマティブ)発言の違いについて主張した本だと考えていました。それは誤りではないのですが、この本の凄さは、行為遂行的発言の発見と同時に、「真/偽」には還元されない「適切/不適切」という領域を発見したことだと思います。本の中に出てくる例でもありますが、何の権限もない人が、ある船を名指し、「この船を〇〇号と名付ける」と言ったとします。この文自体は偽でありません。でも、この言語行為は、発言者が権限なきゆえに、不適切であるといえます。本の中では、日常言語の細かな分析をしつつ、様々な「適切/不適切」が分析されていきます。

日常生活で、「言っていることは正しいけど、適切な発言ではないな」と思うことは多くあります。比喩的な言い方ですが、適切/不適切という視点を得ることで、日常のざらざらした地点に着地した感じを得ることができる本となっています。