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(月3回以上更新目標)

【映画評】<映画>と<映像>のリミットを往還する―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論(前編)

 この記事(前編・後編)では、『チャドルと生きる』(2000年、英語題:The Circle)、『オフサイド・ガールズ』(2006年、英語題:Offside)などの作品で知られるイランの映画監督、ジャハール・パナヒが制作した『これは映画ではない』(2011年、英語題:This Is Not a Film)、『人生タクシー』(2015年、英語題:TAXI)を、<映画>と<映像>との関係から読み解いていきたいと思う。

1.これは映画ではない

(a)映画を撮れない映画監督

 ジャハール・パナヒは、2009年に政権に批判的な活動を行ったとして逮捕され、釈放後も20年間の映画撮影を禁じられた。そのような中、作品をUSBメモリに保存し、ケーキ箱に隠すことでイランから持ち出し、カンヌ映画祭に出品した。その作品が『これは映画ではない』である*1

 パナヒは、映画を製作することは禁じられた。逆に言えば「映画ではない」ものを制作することは禁じられてはいない。そう閃いた彼は、友人のドキュメンタリー監督であるモジタバ・ミルタマスブを自宅に呼び、許可が下りず映画化できなかった作品の脚本を読むので、その様子を撮影してほしいと依頼する。脚本を読むシーンを撮影するだけで、映画を制作しているわけではないというのである。お蔵入りとなった脚本は、アントン・チェーホフの「ある娘の日記から」を下敷きにした話である*2。ある少女が大学の芸術学科に合格したが、進学に反対する両親に家に閉じ込められてしまう。両親が旅行に出かけた後、窓から外を眺めると、ある青年がいつも路地にいて自分の方を見ていることに少女は気づく。少女は青年が自分に恋していると思いこむ。しかし、その青年は、少女の両親に頼まれて少女を監視していただけだった、という話である。パナヒは、部屋を白いテープで区切り撮影セットを再現したり、出演予定だった女優の写真をミルタマスブに見せたり、身振り手振りでシーンを再現したりしながら、脚本を読んでいく。しかし、途中、彼は読むのを止めてしまう。「読んで済むなら何故映画を撮るのだ」と述べて。

 パナヒは、自作の映画作品から、俳優が監督の予想を超える演技をしたシーン、女優の孤独心を背景に映る場所自体が雄弁に語ってしまうシーンを紹介し、これこそが映画なのだと述べる。そして、俳優を準備することも、ロケーション場所を用意することもできない自分は映画を作ることはできないのだ、と思いつめたような彼の表情が映される。そもそもミルタマスブがパナヒにコンタクトを取ったのは、「映画を撮れないイランの映画監督」というタイトルのドキュメンタリーの取材対象になってもらうためだった。ミルタマスブが回すカメラの前で、パナヒは「カット」という言葉を何度も繰り返し、徹頭徹尾、取材対象としてはではなく映画監督としての自分を演じる。

 パナヒは、自作の『鏡』で主人公の少女が映画の役を下りたいといって演技を放棄したシーンを見せつつ、自分もこの少女と同じように役を下りたいのだと述べる。パナヒにとって下りたい役とは、映画を撮れない映画監督という役であろう。そして、この映画を撮れない映画監督という役から脱するため、彼はある道具の助けを借りる。それは、彼の手元にあったスマートフォンである。

(b)被写体から撮影者へ

 『これは映画ではない』『人生タクシー』には共通した特徴があると私は考えている。それは物語の転回点がはっきりしていることだ。『これは映画ではない』では、それは火祭りの日の夜にある。

 映画の冒頭から、パナヒは映画製作について自問自答を繰り返し、その様子の多くがミルタマスブのカメラで捉えられている。火祭りの日の夜、たまたま打ち上げられる花火をスマートフォンで撮影していたパナヒはつぶやく、「これで何が出来るか試してみたくなった」と。それまでもパナヒは幾度となくスマートフォンを使って日常の風景を撮影していたが、スマートフォンを撮影機器として意識はしていなかった。このスマートフォンの「発見」以降、パナヒを被写体として映す映像に加え、パナヒ自身が自らの手で回すスマートフォンの映像が幾度となく挿入され、映画の最後はパナヒ自身がカメラで撮影した長回しの映像で終わることになる。

 この映像上の転回にパナヒはどのような意味を持たせようとしたのだろうか。私は、パナヒが今まで自身が持っていた映画監督としての想いから抜け出し、機材がたとえスマートフォン1台となろうとも一介の撮影者、映像作家として歩んでいく決意を表現したのではないか、と考えている。彼は『オフサイド・ガールズ』日本上映の際のインタビューで次のように述べている。

僕の頭の中には、いつも大きなテーマがあって、それが「社会においての規制」なんです。“リミテーション”というものです。いろんなことがその中に入ってしまうと、ひっかかってしまい、そのことについて物語を作ることになるんです*3

 『オフサイド・ガールズ』は、イランで女性がサッカーを観戦できない社会的問題を描いていた。そこでのリミテーションは、イランという宗教的社会における男女の壁だった。対して『これは映画ではない』でのリミテーションは、政治的理由による表現の自由の制限である。しかしながら、私は、パナヒ自身の中にあった映画や映画監督への強い想いも、彼にとっての隠れたリミテーションとなっていたのではないかと考える。

 既に触れたように、彼自身が映画の映像に対して多義的な意味を求めていたことを思い返そう。スマートフォンで撮影する日常の映像は、セットや俳優を準備して撮影した映像より、単調で貧しいものかもしれない。しかし、どのような形であれ映画を撮り続けるため、再生の日(火祭りの日)に、自らの中にあるリミテーションも乗り越えていく様を描くことが彼の意図ではなかっただろうか*4。肉(かくあるべき映画へのイメージ)を切らせて骨を断つ(なんとしても映画を作る)戦術である。最後に映し出される燃え上がる火は、彼の尽きせぬ映画製作への思いを表しているかのようであり、また、映画を撮ることを許さない社会への挑戦状のようにも見える。

 『これは映画ではない』で、パナヒは自らに課された制約に強いられる形で、<映画>から<映像>へと越境した。現在、多くの人がスマートフォンで日常生活を撮影し、動画サイトに投稿を行っている。現在ほど映像機器や映像があふれている時代はないだろう。最新作『人生タクシー』で、パナヒは、私たちが普段使用する映像機器だけを使って本格的な映画を作ってしまう。そう、今度は、<映像>から<映画>へと越境するのである。

後編はこちら。

 

tsubosh.hatenablog.com

*1:本記事を書くに当たって、参考にした記事は次のとおり。なおウェブページの最終アクセス日は2017年12月

・「【FILMeX】これは映画ではない(特別招待作品)」<http://eigato.com/?p=7083>

・「第一回 映画において「撮るな」という禁止はまともに機能しない『これは映画ではない』」<http://kobe-eiga.net/webspecial/review/2012/07/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E3%80%8E%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8F/>

柳下毅一郎「『これは映画ではない』撮れない名匠の企て」『朝日新聞』2012年9月28日夕刊,p.4

・ラジオ番組「たまむすび」での町山智弘さんのお話(2012年4月)

*2:日本語訳は「ある娘の日記から」『チェーホフ全集 第2 (小説(1882-84))』中央公論社,1960,pp.307-308

*3:「●女の子もサッカーの試合が見たい~!──『オフサイド・ガールズ』その1」<https://www.1101.com/OL/2007-09-05.html>

*4:火祭りについては、ジャパンナレッジの次のサンプルページを参照

・「火祭」<https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=772>

ドキュメンタリーは格闘技である

いろいろやっていて少し更新が滞りました。ノンフィクションマラソン22冊目は『ドキュメンタリーは格闘技である』です。

原:(…)それから、いい機会なんで、お聞きしておきたいことがあるんです。『ゆきゆきて、神軍』を「ぴあ」の試写室で監督に見ていただきました。そのとき監督に意見を聞いたんですが、「そんなことはわからない」と一度は言われんたんですが、しばらくして監督は僕のところに来ていただいて、「君のキャメラワークはやさしい。いま俺に言えるのはそれだけだ」とひと言言っていただきました。(p.188)
大島渚との対談で

18歳~20歳の頃に、私が「本当の勉強」をしなければならないという強迫観念に駆られていたことは、既に別の記事で話しました。この頃から、映画もいろいろ見てみようと思い、勧められるままに見始めました。当時下宿していた京都は、レンタルビデオ屋が充実しており、かなりマイナーな作品にも比較的容易にアクセスできる状況でした。週3本くらい借りて見続けていたのですが、正直、よくわからない映画が大半ではありました。(このような例として、よく覚えているのは、タルコフスキーです。最近、『ブレードランナー2049』関連で話題となりましたが、若造には何が何だかわかりませんでした。ただ、今、見直してみたいなとも思っています。)

そんな中、映画初心者である私にも、強烈なインパクトが残った映画があります。いずれも日本映画なのですが、深作欣二仁義なき戦い』、岩井俊二『LOVE LETTER』、そして、原一男の『ゆきゆきて、神軍』です。特に『ゆきゆきて、神軍』は、最初の結婚式のシーンから完全に持ってかれました。

そしてこの頃、大島渚映画祭が開催され、それを見に行ったこともよく覚えています。率直に言って、大島渚野坂昭如と殴り合いのケンカをした人としか認識していませんでした。しかし、『絞死刑』や『忍者武芸帳』を見て、凄い監督だと心底思い、認識を改めました。

個人的な思い出話をしてしまいました。この本は、原一男監督と、深作欣二今村昌平大島渚新藤兼人監督やその関係者との対談をまとめた本です。この本の面白い点は、原監督の「聞きたいことを聞く」姿勢が貫かれていることです。目次の中に「撮りたいものを撮る」というのがあるのですが、大監督を目の前にしても、物怖じせず聞きたいことを聞いています。そして、質問に対する各監督の反応が様々で、これもまた面白いのです。(「撮ること」と「聞くこと」。この両者の同一性と違いは、どこにあるのでしょうか。本の感想を離れそんなことも考えました。)

個人的には、大島渚監督との対談のパートが一番面白かったです。特に土本監督との論争の箇所です(pp.174-176)。また、『忘れられた皇軍』の撮影秘話にも驚かされました。そして、上の引用は、大島監督の映画に対する誠実さ、眼力をうかがわせる言葉でジーンとしてしまいます(あの映画のキャメラから"優しさ"を見る眼はすごいです。)。

この本は、面白い話がちりばめられていて、これ以上紹介すると(ネタバレで)台無しとなる気がしますのでここまでということで。

イベント行ってきました①(17年10月14日、15日)

10月14日、15日と次のイベントを聞きに行ってきました。

〇哲学と映像の「存在論的転回」@ゲンロンカフェ(10月14日)

genron-cafe.jp

〇「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トークUPLINK FACTORY(10月15日)

【News】10/15(日)開催! ドキュメンタリーマガジン「neoneo」9号刊行記念 「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トーク @UPLINK FACTORY | neoneo web

両日とも大変勉強になりました。一見関係ないように見える両イベントですが、たまたまかもしれませんが、シナジーを起こしているような感がありました。特に、15日に見た映画『夜明け前の子どもたち』、そしてその後のトークに大変感銘を受けました。

『夜明け前の子どもたち』(柳澤壽男監督・1968年)は、滋賀県にある重症心身障がい児施設「びわこ学園」を舞台にした映画です。映画の出だし早々、びわこ学園の映像に「人は誰でも発達する権利がある」というナレーションがかぶせられます。映像にナレーションをかぶせられるのが私はあまり好きではなく、また、少し発達への"強要"を感じ、ちょっとこの映画はきついかなと思いました。しかし、映画が進むにつれ、発達の概念自体を問い直すことが、この映画のテーマになっていることが見えてきます。

映画上映後のトークで、この映画で描かれる発達観が、発達保障論に基づく「ヨコの発達」だとの紹介がありました。一般に、発達とは、できないことができるようになることだと考えられています。このようなスキルベースドな発達観は、「タテの発達」と呼ばれます。それに対し「ヨコの発達」とは、様々な人と共感的な関係を築き、自らの感覚を開放できるようになるという発達観です。発達保障論は以後かなりの批判を受けたとのことですが、当時としては画期的なものだったのではないでしょうか。

様々な人と共感的な関係を築く―言うは易く行うは難しの典型です。この映画は、重症心身障がい児の動作や行動パターンをかなりしつこく記録しています。そして、彼ら・彼女らの動作が、共同作業の場面でどのように変容していくのか、その推移も記録するのです。映画の中でかなりの時間を割いて映し出されるのが「石運び」の場面です。例えば「坂道」という協力を必要とする場面で、「石を運ぶ」ことを通じて、各人の動作がチューニングされていく様が記録されたりします。石という"モノ"を媒介として、共感の"条件"ともいえる人間関係が築かれていく様子が、過剰ともいえるナレーションと合わせ映し出されるのです。

また、この映画では、トラックが高速道路を走るシーンが何度も挿入されます。映画が作られた当時、高度経済成長期だったことが一目でわかります。一方、びわこ学園の労働条件が悪く、たくさんの先生が辞めていく様子も描かれます。トークでこの映画が「未完の完成」だったかもしれないとの話がありましたが、高度経済成長とは違った「進歩」(発達)の可能性の萌芽があったこと、そしてそれがまだ実現していないことを実感しました。今の社会とは違う社会の在り方を提示するという意味で、この映画はとても<政治的>な映画なのではないかと感じました。

批評ミニアルバム_メイキング1

政治情勢が動いていますが、私は変わらず自分のことを語り続けています(笑)。1本目の批評ミニアルバムラインナップについて決めました。比較的長い記事は、いずれも映画評にしようと思います。ノンフィクションマラソンも、本企画と連動させたいと思っています。

〇「映画」というリミットを超えて ―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論

既に短評を書きましたが、『人生タクシー』を見て本当に感心したので、感心した点を原稿用紙20枚程度に簡潔にまとめたいと思います。

tsubosh.hatenablog.com

 ちなみに彼の『オフサイド・ガールズ』も見てみました。この映画も前半ちょっとしんどい映画なのですが、後半に怒涛のカタルシスが訪れます。これを機に、パナヒの師匠筋のアッバス・キアロスタミや、最近のイラン映画(ゴバディ、マフマルバル)も見てみたいなと思います。

〇あるドキュメンタリー映画作家を戦後という観点から考えてみたいと思っています(原稿用紙30枚程度)

〇上記記事とは関係ない長めの書評を2-3本載せます。

これを来年のこの時期までにやろうと思います。途中経過も折を見て書きたいと思います。まとまった分量の文章を「書き溜める」ことの重要性を痛感しています。なぜ今まで、書き溜めてこなかったのだろうと反省する限りですが、前を向いてやっていきたいと考えています。

三歩後退一歩前進(その7)

11月中旬まで更新しないと書いたのですが、早速、前言撤回して書いてしまいます。今回は、思い込みはいけないという話です。

大学院で行き詰まり(いや「息詰まり」といった方が正確でしょうか)、就職することにしたのは20代も後半の頃でした。ただ、就職するといっても年齢的、キャリア的に厳しい展開が予想されました。また、就活の際、面接でメンタルがつぶれることだけは避けなければと考えていました。そこで、某予備校の司法書士の講座に行くことにし、同時に就職活動をするという方針を取りました。お金は恥ずかしながら、実家から出世払いでもらいました(今振り返ると、本当に恵まれた環境でした…。)。就活全滅でも、少しでも資格取得に近づいていれば、心理的保険ができると考えたからです。

司法書士の勉強を始める前には、法律に全く興味がありませんでした。というより、法律家は、社会の"体制"側につく者として、何の根拠もなく嫌っていました。完全にバカな思い込みです。生活のためという、学問を志す者や"反体制"の側から見れば完全に不純な動機で法律を学び始めたのですが、民法、商法、憲法等の全体像を紹介する講義を聞いた後「しまった」と思いました。率直に言って面白かったのです。また、大学院で倫理学もどきを勉強していた者からすれば、法学を全く知らないのはまずいとも思いました。

例えば民法では「私的自治の原則」を学びます。哲学的アプローチでは、「私的自治の原則」の歴史的淵源や、概念的な分析を行うことになるでしょう。逆に民法では、少なくとも実務的側面からは、その原則がどのように現実に適用されるかが大事になります。条文にせよ判例にせよ、それらは原則の標準的な適用方法の束であり、且つこの社会の規則・規範となります。この社会の現実的な規範と、原則の豊富な適用例を知らず、善悪を語っても説得力がないのではと考えたのです。

その時気づいていたのは、法律に実体法と手続法があるように、学問にもレイヤーがあるということです。コンピューターになぞらえば、哲学がOSであり、法律がミドルウェアであり、社会学などがアプリ層に当たるともいえるでしょうか。それぞれの学問にそれぞれの機能があり、いずれも決して馬鹿にできないものだと、少し謙虚になりました。

その後、社会人になり司法書士は取らずじまいですが、思いこみはいけないという格率だけは残りました。ちなみに、社会人になった直後、同様に避けていたIT関連の勉強をせざるを得なくなり、そこでももっと早くIT関連の勉強をしておけばと後悔しました。

因果は巡るもので、数年前からまた法律に縁が出てきました。そこで、11月に知識の整理を兼ね行政書士試験を受けることにしました。ぶっちゃけ9月スタートなのですが、棄権せず受けてこようと思っています。自分の戒めのために、点数をこのブログに書こうと思います。

そんなこんなで少し更新が滞ります。11月中旬以降、また会いましょう。