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(月3回以上更新目標)

【映画評】<映画>と<映像>のリミットを往還する―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論(後編)

前編はこちら。

tsubosh.hatenablog.com

2.『人生タクシー』

(a)内容と形式

 Yahoo! Japanの映画ページでは、『人生タクシー』は次のような紹介がされている(2017年12月時点)。*1

カンヌ、ベネチア、ベルリンの世界三大映画祭での受賞経験を持つ名匠ジャファル・パナヒ監督によるユニークな人生賛歌。イラン政府への反体制的な行動によって、映画制作を禁じられたパナヒ監督自らタクシーの運転手にふんし、車内に設置したカメラで客たちの様子を撮影。監督と乗客の会話を通じ、情報が統制されているテヘランに暮らす人々の人生模様を映し出し、第65回ベルリン国際映画祭金熊賞を受賞した。

movies.yahoo.co.jp

  様々な映画関連サイトでこの映画の感想を読んだが、上記の紹介と同様、イラン社会の不条理を感じたであるとか、テヘランの日常生活を実感できたとかいうような感想が多かった。これらの感想は、映画の中で描かれる内容にフォーカスしたものといえよう。また、この映画がドキュメンタリーであるという前提に立った感想も見られた。

 これらの感想が誤っているとは決して思わない。ただ、この映画は、撮られたエピソードのみで解釈しない方がよいのではないかとも思う。この作品は、一発撮りした映像を編集し完成できるような代物ではない。交通事故にあった男性がパナヒの運転するタクシーに運びこまれる場面があるが、その際、後部座席に血糊が付く。しかし、次の乗客がタクシーに乗り込む時には、後部座席から血糊が消えているのである。パナヒが運転中に拭き取った可能性もあるのだが、この映画の映像を素直に受け取るなというパナヒからのメッセージのようにも思える。

 この映画は、信号待ちをしているパナヒの運転するタクシーの前を、通行人が歩く様子を撮影したショットから始まる。そのショットには、フロントガラスの下のダッシュボードも映っている。フロントガラスの映像がカメラのフレームとの類似性を感じさせる。さらに、運転中、ダッシュボード上にあったカメラが乗客によって角度を変えられる。これもカメラの存在を意識させるショットである。『これは映画ではない』では最後にパナヒが自分でカメラを持ち撮影を行ったが、今回はタクシー(そこに備え付けられたカメラ類)が撮影機材となり、パナヒがテヘランという街と人々を撮影(運転)しているのだともいえよう。タクシー内のカメラだけでなく、パナヒのスマートフォン、姪っ子ハナのデジタルカメラ、パナヒの友人のタブレット端末、刑務所のカメラに至るまで様々な撮影機器が『人生タクシー』の中では登場し言及される。描かれた内容に加えて、それを誰がどのような意図で撮影するのかもこの映画ではかなり意識的に描かれている。少し話を先に進めすぎた。まずはこの映画の内容から見ていこう。

(b)内容面から考える

(b-1)「俗悪なリアリズム」とセンセーショナリズム

 映画の中で、映画監督志望の大学生が登場する。その大学生は様々な本を読み映画を見たが、題材がどうしても見つからない、とパナヒに言う。パナヒは、既に撮られた映画の中に題材を探してもだめだ、映画の題材はどこにでもある、とその青年に伝える。題材が見つからないのは、姪っ子のハナも同様である。ハナは、小学校で映画を撮影するという宿題が出て、その題材を探している。ただ、彼女は、既に存在する映画の中に題材を求めようとはせず、日常に起こったことをそのまま題材としようとしている。問題なのは、上映可能な映画の題材が見つからないということなのである。

 ハナは、先生から教わった上映可能な映画のルールをパナヒに伝える。「男女は肌を触れあわない」「善人の男性役はイスラム名を使用しネクタイをはめない」等々。権力による表現の自由の制限(リミテーション)だ。明示的ではないが、ハナは、自分が撮った映画の素材が「俗悪なリアリズム」というルールに引っかかるため上映禁止になったと考えているようである。「俗悪なリアリズム」とは、社会の醜い面(暴力、窃盗等)も美しい面と同じく平等に描くことでもある。

 ハナが撮影したという映像は、次のようなものだ。ある家へアフガニスタン人男性が求婚に来た。何の話も聞いていなかった父親は激怒し女性を家に閉じ込めた。男性はそれでも家の外で待ち続けた。その男性を親族が殴って追い返そうとしたが何度も彼は戻ってきた、という話である。この映像には、暴力が、おそらくは人種差別も写されてしまっている。確かにこの話がフィクションならば、「俗悪なリアリズム」という理由での上映禁止は問題であろう

 しかし、問題は別のところにもある。それは、ハナが実際に起きた事件の映像を上映することについて危うさを何も感じていないことだ。このような映像を学校で上映してよいのかという教育上の問題を措くとしても、この映像を上映することで関係者を、また男性自身をも傷つけることになるかもしれないという迷いがハナには全く見られない。もちろん告発の意味を込めて映像を上映することはあるだろうが、その時は覚悟が必要であろう。

 さらに、ハナは、結婚式でカップルが落としたお金を貧しい少年が拾う場面を目撃する。この場面は窃盗のため「俗悪なリアリズム」となり上映ができない。そこで、撮影した映像を上映できるようにするため、カップルにお金を返してきてほしい、とハナは頼むのである。映画上映のためのヤラセの提案である。最終的に少年はこの提案を拒絶するのだが、ハナはそれで不機嫌となる。

 小学生ハナの問題は、何を撮ってよいのか、何を上映してよいのかという内的基準がまだ存在していないことだ。つまり、内的な制約(リミテーション)が存在しないのである。一歩誤ると素材自体の魔力に負け、刺激の強い素材、センセーショナルな素材を求める危険性がある。パナヒは、外的な制約の問題点を描きつつも、内的な基準の存在についても同時に触れているのである。 

(b-2)映像とその所有者

 ハナが少年にヤラセを提案したシーンをもう少し詳しく見てみよう。ハナは、結婚式のカップルが車に乗りこむ場面を撮影している。すると、偶然カップルがお金を落とし、少年がそれを拾うところを彼女は撮影してしまう。実はこのシーンには別のものも映されている。それは、結婚式の様子を撮影するカメラマンである。そのカメラマンはカップルにずっとカメラを向けているが、少年の存在に気づきもしない。このカメラマンによって撮影された映像は、カップルにプレゼントされるものであろう。もしハナが少年にヤラセを行わせることに成功していたら、それはハナの映像となっていただろう。しかし、ハナの映像のためにヤラセに乗ることを、少年は「ヒーローになるよりお父さんにお金を渡したい」と言って拒絶するのだ。「敗者は映像を持たない」というのは大島渚の有名な言葉だが、映像は必ずその裏に所有者がいるのである。

 映画の最後の方で、バレーの試合を観戦したため服役している娘に面会に行った母親の話が出てくる。服役中の女性は抗議のためハンガーストライキをしているのだが、当局は、面会とバーターで、娘がハンガーストライキを行っていないと母親が述べる映像を作成するつもりだった。ハナのヤラセは可愛いものだが、社会的なヤラセとなると事態は深刻であろう。

(C)映画の演出から

 『人生タクシー』では、撮影に多大な制約があるため、作りこまれた映像はあまりない。使用されている映像は、デジタルカメラを始めとして私たちが通常使っている機器でも十分撮影可能なものだ。そのような映像を素材とし、それを文字通り「ハンドリング」することで、十分に面白い映画作品として仕上げている。私たちが撮影している映像そのままでは映画にはならず、映画が映画として成立するには演出や構成がいかに重要か、この映画を見るとその点を痛感する。

 演出の一例として、車への出入りの演出が挙げられる。ハナが少年にヤラセを提案した場面で、パナヒは一旦車を降りている。この演出によって、ハナのデジタルカメラの映像をよりハナしか知らないもののように見せる効果が生じている。この車を出入りする演出は、別のシーンでも威力を発揮する。パナヒが車の中で幼なじみと内密の話をするため、ハナが車を離れる場面がある。その幼なじみは実業家様でネクタイをはめている。彼は、自分が強盗の被害にあったこと、今乗っている車にジュースを運んできた男がその犯人であることを、タブレット端末に保存していた証拠映像を見せながらパナヒに説明する。しかし、彼は、その男が経済的に困窮していることを知っているために警察に訴えることができなかったとも言い、苦しい胸の内を吐露する。彼は決して悪人ではないだろう。彼が車を降りた後、ハナが車に戻ってきて、無邪気にイランで上映可能な映画では「善人の男性役はネクタイをはめていない」と述べる。内密の話を共有していないからこそできる発言である。この演出により、表現規制がいかに人間の本当の姿を映すのを困難にさせるか、映像として体感させてくれる。

(d)さいごに

 前編の記事において、『これは映画ではない』で、パナヒが自らに課された制約に強いられる形で<映画>から<映像>へと越境したと述べた。私は、『人生タクシー』で、パナヒは<映像>から<映画>へと越境したと考えている。パナヒは、直接的な言葉ではなく、私達も使用している撮影機材で撮影した<映像>を素材に演出、構成を駆使し、紛うことなき<映画>を作り上げた。

 制約があるからこそ芸術は輝くことがあるということをよく聞く。しかし、いつか、パナヒには制約なく劇映画を作ってもらいたいと切に願っている。

*1:なお、本記事を書くに当たって参考にした記事は次のとおり。最終アクセス日は、2017年12月9日である。

・「『人生タクシー』は“映画”ではない? 特異な表現を生んだ、イラン社会の現実」<https://beauty.yahoo.co.jp/enta/articles/776851>

・「森達也×松江哲明 “映画監督禁止令”受けるパナヒ監督の最新作「人生タクシー」を絶賛」<http://eiga.com/news/20170415/13/>

・ラジオ番組でのいとうせいこう氏の話(Youtubeで見てください。)

私の映画を見た直後の感想はこちら。

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【映画評】<映画>と<映像>のリミットを往還する―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論(前編)

 この記事(前編・後編)では、『チャドルと生きる』(2000年、英語題:The Circle)、『オフサイド・ガールズ』(2006年、英語題:Offside)などの作品で知られるイランの映画監督、ジャハール・パナヒが制作した『これは映画ではない』(2011年、英語題:This Is Not a Film)、『人生タクシー』(2015年、英語題:TAXI)を、<映画>と<映像>との関係から読み解いていきたいと思う。

1.これは映画ではない

(a)映画を撮れない映画監督

 ジャハール・パナヒは、2009年に政権に批判的な活動を行ったとして逮捕され、釈放後も20年間の映画撮影を禁じられた。そのような中、作品をUSBメモリに保存し、ケーキ箱に隠すことでイランから持ち出し、カンヌ映画祭に出品した。その作品が『これは映画ではない』である*1

 パナヒは、映画を製作することは禁じられた。逆に言えば「映画ではない」ものを制作することは禁じられてはいない。そう閃いた彼は、友人のドキュメンタリー監督であるモジタバ・ミルタマスブを自宅に呼び、許可が下りず映画化できなかった作品の脚本を読むので、その様子を撮影してほしいと依頼する。脚本を読むシーンを撮影するだけで、映画を制作しているわけではないというのである。お蔵入りとなった脚本は、アントン・チェーホフの「ある娘の日記から」を下敷きにした話である*2。ある少女が大学の芸術学科に合格したが、進学に反対する両親に家に閉じ込められてしまう。両親が旅行に出かけた後、窓から外を眺めると、ある青年がいつも路地にいて自分の方を見ていることに少女は気づく。少女は青年が自分に恋していると思いこむ。しかし、その青年は、少女の両親に頼まれて少女を監視していただけだった、という話である。パナヒは、部屋を白いテープで区切り撮影セットを再現したり、出演予定だった女優の写真をミルタマスブに見せたり、身振り手振りでシーンを再現したりしながら、脚本を読んでいく。しかし、途中、彼は読むのを止めてしまう。「読んで済むなら何故映画を撮るのだ」と述べて。

 パナヒは、自作の映画作品から、俳優が監督の予想を超える演技をしたシーン、女優の孤独心を背景に映る場所自体が雄弁に語ってしまうシーンを紹介し、これこそが映画なのだと述べる。そして、俳優を準備することも、ロケーション場所を用意することもできない自分は映画を作ることはできないのだ、と思いつめたような彼の表情が映される。そもそもミルタマスブがパナヒにコンタクトを取ったのは、「映画を撮れないイランの映画監督」というタイトルのドキュメンタリーの取材対象になってもらうためだった。ミルタマスブが回すカメラの前で、パナヒは「カット」という言葉を何度も繰り返し、徹頭徹尾、取材対象としてはではなく映画監督としての自分を演じる。

 パナヒは、自作の『鏡』で主人公の少女が映画の役を下りたいといって演技を放棄したシーンを見せつつ、自分もこの少女と同じように役を下りたいのだと述べる。パナヒにとって下りたい役とは、映画を撮れない映画監督という役であろう。そして、この映画を撮れない映画監督という役から脱するため、彼はある道具の助けを借りる。それは、彼の手元にあったスマートフォンである。

(b)被写体から撮影者へ

 『これは映画ではない』『人生タクシー』には共通した特徴があると私は考えている。それは物語の転回点がはっきりしていることだ。『これは映画ではない』では、それは火祭りの日の夜にある。

 映画の冒頭から、パナヒは映画製作について自問自答を繰り返し、その様子の多くがミルタマスブのカメラで捉えられている。火祭りの日の夜、たまたま打ち上げられる花火をスマートフォンで撮影していたパナヒはつぶやく、「これで何が出来るか試してみたくなった」と。それまでもパナヒは幾度となくスマートフォンを使って日常の風景を撮影していたが、スマートフォンを撮影機器として意識はしていなかった。このスマートフォンの「発見」以降、パナヒを被写体として映す映像に加え、パナヒ自身が自らの手で回すスマートフォンの映像が幾度となく挿入され、映画の最後はパナヒ自身がカメラで撮影した長回しの映像で終わることになる。

 この映像上の転回にパナヒはどのような意味を持たせようとしたのだろうか。私は、パナヒが今まで自身が持っていた映画監督としての想いから抜け出し、機材がたとえスマートフォン1台となろうとも一介の撮影者、映像作家として歩んでいく決意を表現したのではないか、と考えている。彼は『オフサイド・ガールズ』日本上映の際のインタビューで次のように述べている。

僕の頭の中には、いつも大きなテーマがあって、それが「社会においての規制」なんです。“リミテーション”というものです。いろんなことがその中に入ってしまうと、ひっかかってしまい、そのことについて物語を作ることになるんです*3

 『オフサイド・ガールズ』は、イランで女性がサッカーを観戦できない社会的問題を描いていた。そこでのリミテーションは、イランという宗教的社会における男女の壁だった。対して『これは映画ではない』でのリミテーションは、政治的理由による表現の自由の制限である。しかしながら、私は、パナヒ自身の中にあった映画や映画監督への強い想いも、彼にとっての隠れたリミテーションとなっていたのではないかと考える。

 既に触れたように、彼自身が映画の映像に対して多義的な意味を求めていたことを思い返そう。スマートフォンで撮影する日常の映像は、セットや俳優を準備して撮影した映像より、単調で貧しいものかもしれない。しかし、どのような形であれ映画を撮り続けるため、再生の日(火祭りの日)に、自らの中にあるリミテーションも乗り越えていく様を描くことが彼の意図ではなかっただろうか*4。肉(かくあるべき映画へのイメージ)を切らせて骨を断つ(なんとしても映画を作る)戦術である。最後に映し出される燃え上がる火は、彼の尽きせぬ映画製作への思いを表しているかのようであり、また、映画を撮ることを許さない社会への挑戦状のようにも見える。

 『これは映画ではない』で、パナヒは自らに課された制約に強いられる形で、<映画>から<映像>へと越境した。現在、多くの人がスマートフォンで日常生活を撮影し、動画サイトに投稿を行っている。現在ほど映像機器や映像があふれている時代はないだろう。最新作『人生タクシー』で、パナヒは、私たちが普段使用する映像機器だけを使って本格的な映画を作ってしまう。そう、今度は、<映像>から<映画>へと越境するのである。

後編はこちら。

 

tsubosh.hatenablog.com

*1:本記事を書くに当たって、参考にした記事は次のとおり。なおウェブページの最終アクセス日は2017年12月

・「【FILMeX】これは映画ではない(特別招待作品)」<http://eigato.com/?p=7083>

・「第一回 映画において「撮るな」という禁止はまともに機能しない『これは映画ではない』」<http://kobe-eiga.net/webspecial/review/2012/07/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%9B%9E%E3%80%8E%E3%81%93%E3%82%8C%E3%81%AF%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%8F/>

柳下毅一郎「『これは映画ではない』撮れない名匠の企て」『朝日新聞』2012年9月28日夕刊,p.4

・ラジオ番組「たまむすび」での町山智弘さんのお話(2012年4月)

*2:日本語訳は「ある娘の日記から」『チェーホフ全集 第2 (小説(1882-84))』中央公論社,1960,pp.307-308

*3:「●女の子もサッカーの試合が見たい~!──『オフサイド・ガールズ』その1」<https://www.1101.com/OL/2007-09-05.html>

*4:火祭りについては、ジャパンナレッジの次のサンプルページを参照

・「火祭」<https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=772>

ドキュメンタリーは格闘技である

いろいろやっていて少し更新が滞りました。ノンフィクションマラソン22冊目は『ドキュメンタリーは格闘技である』です。

原:(…)それから、いい機会なんで、お聞きしておきたいことがあるんです。『ゆきゆきて、神軍』を「ぴあ」の試写室で監督に見ていただきました。そのとき監督に意見を聞いたんですが、「そんなことはわからない」と一度は言われんたんですが、しばらくして監督は僕のところに来ていただいて、「君のキャメラワークはやさしい。いま俺に言えるのはそれだけだ」とひと言言っていただきました。(p.188)
大島渚との対談で

18歳~20歳の頃に、私が「本当の勉強」をしなければならないという強迫観念に駆られていたことは、既に別の記事で話しました。この頃から、映画もいろいろ見てみようと思い、勧められるままに見始めました。当時下宿していた京都は、レンタルビデオ屋が充実しており、かなりマイナーな作品にも比較的容易にアクセスできる状況でした。週3本くらい借りて見続けていたのですが、正直、よくわからない映画が大半ではありました。(このような例として、よく覚えているのは、タルコフスキーです。最近、『ブレードランナー2049』関連で話題となりましたが、若造には何が何だかわかりませんでした。ただ、今、見直してみたいなとも思っています。)

そんな中、映画初心者である私にも、強烈なインパクトが残った映画があります。いずれも日本映画なのですが、深作欣二仁義なき戦い』、岩井俊二『LOVE LETTER』、そして、原一男の『ゆきゆきて、神軍』です。特に『ゆきゆきて、神軍』は、最初の結婚式のシーンから完全に持ってかれました。

そしてこの頃、大島渚映画祭が開催され、それを見に行ったこともよく覚えています。率直に言って、大島渚野坂昭如と殴り合いのケンカをした人としか認識していませんでした。しかし、『絞死刑』や『忍者武芸帳』を見て、凄い監督だと心底思い、認識を改めました。

個人的な思い出話をしてしまいました。この本は、原一男監督と、深作欣二今村昌平大島渚新藤兼人監督やその関係者との対談をまとめた本です。この本の面白い点は、原監督の「聞きたいことを聞く」姿勢が貫かれていることです。目次の中に「撮りたいものを撮る」というのがあるのですが、大監督を目の前にしても、物怖じせず聞きたいことを聞いています。そして、質問に対する各監督の反応が様々で、これもまた面白いのです。(「撮ること」と「聞くこと」。この両者の同一性と違いは、どこにあるのでしょうか。本の感想を離れそんなことも考えました。)

個人的には、大島渚監督との対談のパートが一番面白かったです。特に土本監督との論争の箇所です(pp.174-176)。また、『忘れられた皇軍』の撮影秘話にも驚かされました。そして、上の引用は、大島監督の映画に対する誠実さ、眼力をうかがわせる言葉でジーンとしてしまいます(あの映画のキャメラから"優しさ"を見る眼はすごいです。)。

この本は、面白い話がちりばめられていて、これ以上紹介すると(ネタバレで)台無しとなる気がしますのでここまでということで。

イベント行ってきました①(17年10月14日、15日)

10月14日、15日と次のイベントを聞きに行ってきました。

〇哲学と映像の「存在論的転回」@ゲンロンカフェ(10月14日)

genron-cafe.jp

〇「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トークUPLINK FACTORY(10月15日)

【News】10/15(日)開催! ドキュメンタリーマガジン「neoneo」9号刊行記念 「柳澤壽男・障がい者ドキュメンタリー傑作選」2本立て上映+トーク @UPLINK FACTORY | neoneo web

両日とも大変勉強になりました。一見関係ないように見える両イベントですが、たまたまかもしれませんが、シナジーを起こしているような感がありました。特に、15日に見た映画『夜明け前の子どもたち』、そしてその後のトークに大変感銘を受けました。

『夜明け前の子どもたち』(柳澤壽男監督・1968年)は、滋賀県にある重症心身障がい児施設「びわこ学園」を舞台にした映画です。映画の出だし早々、びわこ学園の映像に「人は誰でも発達する権利がある」というナレーションがかぶせられます。映像にナレーションをかぶせられるのが私はあまり好きではなく、また、少し発達への"強要"を感じ、ちょっとこの映画はきついかなと思いました。しかし、映画が進むにつれ、発達の概念自体を問い直すことが、この映画のテーマになっていることが見えてきます。

映画上映後のトークで、この映画で描かれる発達観が、発達保障論に基づく「ヨコの発達」だとの紹介がありました。一般に、発達とは、できないことができるようになることだと考えられています。このようなスキルベースドな発達観は、「タテの発達」と呼ばれます。それに対し「ヨコの発達」とは、様々な人と共感的な関係を築き、自らの感覚を開放できるようになるという発達観です。発達保障論は以後かなりの批判を受けたとのことですが、当時としては画期的なものだったのではないでしょうか。

様々な人と共感的な関係を築く―言うは易く行うは難しの典型です。この映画は、重症心身障がい児の動作や行動パターンをかなりしつこく記録しています。そして、彼ら・彼女らの動作が、共同作業の場面でどのように変容していくのか、その推移も記録するのです。映画の中でかなりの時間を割いて映し出されるのが「石運び」の場面です。例えば「坂道」という協力を必要とする場面で、「石を運ぶ」ことを通じて、各人の動作がチューニングされていく様が記録されたりします。石という"モノ"を媒介として、共感の"条件"ともいえる人間関係が築かれていく様子が、過剰ともいえるナレーションと合わせ映し出されるのです。

また、この映画では、トラックが高速道路を走るシーンが何度も挿入されます。映画が作られた当時、高度経済成長期だったことが一目でわかります。一方、びわこ学園の労働条件が悪く、たくさんの先生が辞めていく様子も描かれます。トークでこの映画が「未完の完成」だったかもしれないとの話がありましたが、高度経済成長とは違った「進歩」(発達)の可能性の萌芽があったこと、そしてそれがまだ実現していないことを実感しました。今の社会とは違う社会の在り方を提示するという意味で、この映画はとても<政治的>な映画なのではないかと感じました。

批評ミニアルバム_メイキング1

政治情勢が動いていますが、私は変わらず自分のことを語り続けています(笑)。1本目の批評ミニアルバムラインナップについて決めました。比較的長い記事は、いずれも映画評にしようと思います。ノンフィクションマラソンも、本企画と連動させたいと思っています。

〇「映画」というリミットを超えて ―ジャハール・パナヒ『これは映画ではない』『人生タクシー』論

既に短評を書きましたが、『人生タクシー』を見て本当に感心したので、感心した点を原稿用紙20枚程度に簡潔にまとめたいと思います。

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 ちなみに彼の『オフサイド・ガールズ』も見てみました。この映画も前半ちょっとしんどい映画なのですが、後半に怒涛のカタルシスが訪れます。これを機に、パナヒの師匠筋のアッバス・キアロスタミや、最近のイラン映画(ゴバディ、マフマルバル)も見てみたいなと思います。

〇あるドキュメンタリー映画作家を戦後という観点から考えてみたいと思っています(原稿用紙30枚程度)

〇上記記事とは関係ない長めの書評を2-3本載せます。

これを来年のこの時期までにやろうと思います。途中経過も折を見て書きたいと思います。まとまった分量の文章を「書き溜める」ことの重要性を痛感しています。なぜ今まで、書き溜めてこなかったのだろうと反省する限りですが、前を向いてやっていきたいと考えています。