Random-Access Memory

(月3回以上更新目標)

航路を守る(20年4月下旬)

f:id:tsubosh:20200419175720j:plain

皆様、いかがお過ごしですか。

私はずっと自粛生活を続けています。自粛生活だと気分転換が難しいですね。体調はよいのですが、何もする気がせず、昨日、今日と1ページも本を読めずじまいでした…。

コロナの話題は気が乗らないのですが、1点だけ報告します。ミニシアター・エイド(Mini-Theater AID)基金を応援しました。ハリウッド映画とは違う映画を見る機会があることは本当に重要だと考えています。昨年、山形のドキュメンタリー映画祭に行ったとき、そのことを痛感しました。その際の旅行記も参考までに貼り付けておきます。

motion-gallery.net

tsubosh.hatenablog.com

ちなみに、コロナ禍の状況下、映画では、ソダーバーグ監督「コンティジョン」がよく見られているようです。私はこの映画をリアルタイムで見ているはずですが、記事にはしていませんでした。記事として書いている映画で、この状況下で見ると参考になるだろうなと思うのは、西川美和監督の「ディア・ドクター」です。「ディア・ドクター」は、医者という専門職を巡る映画です。専門性とは何かということを考えさせる映画となっています。

youtu.be

tsubosh.hatenablog.com

 勉強面では、自分の力不足を常に感じていて、1月から興味がある分野の教科書・基本書をコツコツと読みすすめています。(教科書類はここで書いて自分にプレッシャーをかけないと読めないので、ここで報告することを課したいと思っています。)

動物からの倫理学入門

動物からの倫理学入門

 

動物という視点から、功利主義から徳倫理学までわかりやすく記載された倫理学の入門書です。

日本政治思想史 (放送大学教材)

日本政治思想史 (放送大学教材)

  • 作者:武史, 原
  • 発売日: 2017/03/01
  • メディア: 単行本
 

読み物としてとても面白い日本思想史のテキストです。宗教や鉄道に造詣が深いと、このように通史を記述できるのだと感心しました。

また、細々続けている法律のお勉強として、某資格予備校の予備試験用テキストを一通り読み通そうと思っていて、まず民事訴訟法を読みました。順序が逆かもしれませんが、次に民法を読みたいと思っています。

コロナの影響でペースが乱れてはいますが、航路を守りコツコツ進んでいきたいと思います。

残業学

ノンフィクションマラソン57冊目は、『残業学』です。

残業という現象は、物理現象ではありません。組織の現象であり、人の現象です。長時間労働をよりミクロな視点で見ていくと、そこには働き手それぞれの想いがあります。(…)日々、残業に向かい合うそれぞれの想いがありながら、その「全体」が、想いの単純な「総和」を「超え」、うねりのような姿で現れてくるのが、この問題の根深さであり、研究対象としての奥深さでもあります。(pp.327-328)

すごく面白い本でした。

今、日本では、将来の少子高齢化に伴う人口減に備え、労働力を確保するため、多様な働き方が求められています。残業が常態化している職場では女性や高齢者などが働きづらく、将来、様々な問題が起きるだろうことが容易に推測されます。残業が一つの習慣として日本社会に定着している以上、個々の企業の努力だけでなく、日本社会の習慣自体を変えていく必要性があるでしょう。

この本では、残業について、日本における歴史的経緯から、残業が生まれるプロセス、残業を減らすための方策に至るまで、講義形式でわかりやすく紹介しています。特に印象に残ったのは、下の画像に記載されているような、組織が残業を「学習」するプロセスです。

f:id:tsubosh:20200425182444j:plain

『残業学』p.200から

この図の詳しい意味については是非本書を読んでいただければと思いますが、図を一目見るだけでも残業が組織的かつ集合的な事象であることがわかると思います。この学習自体を棄却(アンラーン)することが必要であると著者は考えるのです。

では、組織の集合的学習をアンラーンするためにはどうすればよいでしょうか。残業は集合的な事象であるため、残業削減のための規則や制度を作る必要があるとの主張が続くのかと思いきや、逆に、著者はそれぞれの職位に応じた個々の努力が必要であると主張しているように思えました。つまり、この本には、問題は集合的な次元で理解する必要があるが、解決は個人的に行う必要があるという思想があるのではないかと思うのです。例えば、残業を削減するためのマネージャーの責務は、「ジャッジ」「グリップ」「チーム・アップ」であると言われています。

今、日本は新型コロナウィルスの対応に苦慮しています。残業と同じように日本社会の悪しき習慣が悪影響を与えている面もあるでしょう。問題がどのように集合的に作られているのか、そしてそれを解決するための個別の課題は何か。『残業学』での問題の捉え方・解決法を応用しながら考えてみても面白いなと考えています。

ブロッホの生涯

ノンフィクションマラソン56冊目は、『ブロッホの生涯』です。

人間は蛇の誘惑によって知慧の木の実を食べ、それによって天国から追放されたと聖書に言われている。しかしブロッホは、知慧の木の実を食べることによって、神のようになりたいと意志した人間こそが、真の人間の在り方であると考える。ブロッホにとって、むしろ神のようになりたいと意志しないことの方が、人間のほんとうの原罪である。したがって神に反抗して地上に落された堕天使ルシフェルこそ、むしろ人間の置かれた位置を象徴する存在である。そして彼が故郷へ、もといた天国へ帰ろうとするように、人間は神に反抗しつつ自己自身に出会える故郷へ戻ろうと模索しているのだ。(p.107)

この本は、エルンスト・ブロッホというマルクス主義哲学者のモノグラフィー的研究書です。

エルンスト・ブロッホ - Wikipedia

この本、長らく積読状態になっていたのですが、手に取ってみようと思ったのは、最近の新型コロナウィルス感染拡大がきっかけです。

エルンスト・ブロッホの思想の鍵となる概念に「生きられた瞬間の暗闇」というものがあります。人は現在を懸命に生きるからこそ、逆に現在が分からなくなるという逆説があるという話を、学生時代に聞きました。そのとき、ブロッホの「生きられた瞬間の暗闇」という概念を知ったというわけです。この概念は心の片隅にずっと残っていて、今回のコロナ問題でその概念を思い出しました。

たとえば、1月、2月時点で、ここまでコロナウィルスの感染が拡大すると確信できたでしょうか。少なくとも私は、1月、2月に現在の萌芽はあったはずなのですが、それが見えないまま、現在を迎えています。そして、4月の今、6月、7月の未来を確実に見通すことはできません。

1月、2月の時点のことを改めて捉え直すのは、昔、存在したかもしれない未来への萌芽を確認することです。非常事態だからといってて思考停止となるのは、未来への道を閉ざしてしまうことになるでしょう。

このように、生きることは暗闇を抱くことであるのですが、暗闇から学ぶからこそ、人間には可能性があるのだということもできます。この本を読んで印象に残ったのは、引用にもあるブロッホ無神論的ともいえるキリスト教理解でした。ここからも、ブロッホの「暗闇」(神から追放された世界)から学ぶ姿勢を見て取ることができます。

航路を守る(20年4月中旬)

f:id:tsubosh:20200412150450j:plain
皆様、いかがお過ごしですか?3月末の記事では、呑気に桜の画像を載せたりしていたのですが、新型コロナウィルス感染拡大の勢いは止まらず、突如、緊迫の度が増してきている感があります。4月12日時点で、日本全体の感染者は7400人を超え、亡くなられた方も140名弱となっています。

今、私は次の2つのルールに従って行動していこうと考えています。

  • ウィルスの感染拡大は確率論的なマクロな事象であるという認識を持つ。
  • マクロな視点が大事なことを前提として、身近な人のためにできるだけ予防に努める。

1つ目のルールについて。ウィルスの感染予防はマクロな観点での対策が鍵であり、ここが機能しなくなると個人が努力しても厳しい局面があるという認識を持つ必要があると思います。手洗い・うがいは大事ですが、ミクロな対処方法です。ミクロな側面に過度に視線を奪われず、ウィルスの性格や政府の政策などといったことも把握し、どのようにこのウィルスの感染が推移していくかを予測した上で、適切に行動していければと考えています。

2つ目のルールについて。マクロな視点が大事であるとはいえ、ミクロな対策を行わないわけではありません。何のために対策をするかといえば、自分が苦しまないため、他人に感染させないため、医療関係者に負担をかけないためです。具体的な人の姿を思い浮かべながら、自粛や手洗いを行っていければと思います。

この間、生涯学習論は改めて重要だと思いました。新型コロナウィルスの報道を理解するにしても、法律や統計など、複合的な知識が必要になります。専門家だけでなく、一般の人々のリテラシーの高さが、社会にとって必要だと感じる次第です。

これまでは私の観点から対応策について書いてきましたが、政府に対してこうしてほしいという思いもあります。それは、とてもシンプルな要求で、感染防止と経済的影響の軽減に真剣になってほしいというものです。今でも十分真剣かもしれません。ただ、政府の真剣度は、人々の真剣度に影響するため、この点は強調しすぎることはないでしょう。

私が知っている近くのお店も、自粛で閉めているところもあり、厳しいなと思います。また、自分がすごく本や映画に育てられてきたので、応援したいと思っています。アップリンクの次のサイトはポチリました。

www.uplink.co.jp

これから見通しはあまり明るくはないと思いますが、視線を上にあげて頑張っていきましょう。

硫黄島

ノンフィクションマラソン55冊目には『硫黄島』です。

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

硫黄島-国策に翻弄された130年 (中公新書)

  • 作者:石原 俊
  • 発売日: 2019/01/18
  • メディア: 新書
 

硫黄島は、凄惨な地上戦がおこなわれ日本軍将兵の遺骨が現在も多数埋まっている、「終わらない戦争」の現場として知られている。いまだ日本軍側の8000柱以上の遺骨が収容できていない事実も、第6章でふれた菅内閣時のキャンペーンなどをきっかけにようやく認知されてきた。

だが、硫黄列島に島民とその社会が存在していたこと、島民の約九割が強制疎開の対象となった事実は、まだまだ広く知られていない。一〇三人の硫黄島民が地上戦に動員され、そのうち九十三人が亡くなった事実は、さらに知られていない。
そして、硫黄列島が「終わらない冷戦」の過酷な現場でもある事実に、大多数の本土住民はふれることさえないのだ。(p.204)

 クリント・イーストウッドに「硫黄島」2部作(「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」)があります。この2部作は、硫黄島の戦闘を、日米両方の兵士の視点で描いたものでした。この2作、私はリアルタイムで観ていて、記事を書いていました。久しぶりに読み直してみましたがひどいなこれ(笑)。記事が短くて何言っているかわかんないぞ。

tsubosh.hatenablog.com

tsubosh.hatenablog.com

 さて、本書では、「硫黄島」とは「地上戦の島」であるという、多くの日本人が持っている歴史認識に挑戦します。この歴史認識は、イーストウッドの映画を見た我々世代も自然と持ってしまうような歴史認識でしょう。戦前に硫黄島で住民がどのような生活をしていたのか、また、地上戦直前に住民の多くが強制疎開させられるのですが、戦中・戦後にどのように生活をしてきたか。地上戦という点ではなく、明治から現在までの時間軸の中で、兵士ではなく住民の視点から、硫黄島の歴史が描きだされていきます。

戦前、プレンテーション栽培が行われ主要作物の1つがコカであったこと、地上戦前の強制疎開のどさくさに紛れ正式な徴用ではない私的な「偽徴用」が行われたこと、戦後、硫黄島は米軍の基地、その後自衛隊の基地が置かれ、住民が帰還できない状況であることなど、決して大きくはない島の歴史から、様々な「悪」の形が見えてきます。また、それらと併せて、日本の「戦後体験」が場所や地域によって大きく異なるということを無視してはいけないこともよくわかる本です。