2020年までにノンフィクション100冊マラソンを達成したいなと考えています。

以下は、マラソン本のインデックスです。
1件当たり、600字から800字くらいまででコンパクトに感想を書きたいと思います。

1冊目:澤地久枝『密約』
2冊目:斎藤茂男『父よ!母よ!』
3冊目:コリン・コバヤシ『ゲランドの塩物語』
4冊目:河上肇『貧乏物語』
5冊目:NHK「無縁社会プロジェクト」取材班『無縁社会』
6冊目:杉山春『移民還流』
7冊目:ラビア・カーディル『ウイグルの母 ラビア・カーディル自伝』
8冊目:デイヴィッド・ハルバースタム『ザ・コールデスト・ウィンター』
9冊目: 堀江邦夫『原発ジプシー』
10冊目:アンドレ・ジイド『コンゴ紀行』
11冊目:アンソニー・ルイス『敵対する思想の自由』(2017.3.12)
12冊目:柳田国男『遠野物語・山の人生』(2017.5.8)
13冊目:武田徹『日本ノンフィクション史』(2017.6.5)
14冊目:足立巻一『やちまた』(2017.7.2)
15冊目:ブレイディみかこ『子どもたちの階級闘争』(2017.7.12)
16冊目:松原岩五郎『最暗黒の東京』(2017.7.17)
17冊目:佐々木敦『ニッポンの音楽』(2017.7.22)
18冊目:ヒュー・G.ギャラファー『ナチスドイツと障害者「安楽死」計画』(2017.7.31)
19冊目:加藤直樹『謀反の児』(2017.8.8)
20冊目:板倉聖宣『ぼくらはガリレオ』(2017.8.20)
21冊目:伊藤彰彦『映画の奈落』(2017.9.19)

法律のお勉強

今年の年末までを目途に、きちんと法律(主に行政法関連)を勉強したいと考えています。以下に勉強した内容を記載していきます。

三歩後退一歩前進(その6)

前回の記事で「『勉強の哲学』をきちんと読み終える」と書きました。最近、仕事関連の勉強に忙殺されていたため、やっと連休中に読むことができました。読み始める前はどんな本なのか一抹の不安がありましたが、筆者の誠実な姿勢に共感を覚えました。また、この本は、フランス現代思想入門として大変優れていると思います。興味がある方は手に取ってみてはどうでしょう。今回の記事では、『勉強の哲学』の感想を、自分なりに変奏してみたいと思います(韻、踏みました。)。

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 さて、社会人になると学生時代と違うタイプの本を読むようになります。例えば、時間管理術、勉強術などの自己啓発本です。最近(私の周りでは)あまりお名前を拝見しませんが、昔は勝間和代さんの本も読みました。(その影響で、レッツノートを買ったことも思い出してしまいました…。)ちなみにこのブログの最初の方の記事でも自己啓発系の本が紹介してあったりします。

自己啓発本も全く読まないよりは読んだ方がいいと思います。ジャンルの癖を知ることはとても大事なことです。しかしながら、私は、ある程度自己啓発本の読書経験を積むと、息苦しさを感じるようになりました。端的にはこんな気持ちです。「そんなに『スキルアップ』してどうするんですか?」。頑張ってスキルアップしても、現実にはそれに比例して年収がアップすることはない、という点もあります。しかし、私が自己啓発本が提示する「未来」に全く惹かれなかったというのが大きいです。比喩的には、自己啓発系の本は、「入口」としては優れたものがあっても、「出口」がない本だったのです。

『勉強の哲学』の優れた点は、自己啓発本の形態を取りながら、性格が全く逆な点にあります。それは、既成の出口でない、自分なりの出口(「逃走線」ともいえるのでしょうか。)の作り方のヒントを提示している点にあります。(思いつきですが、自己啓発的欲望に抗する観点から、『アンチ・オイディプス』や『ミル・プラトー』を読むのも面白いかもしれないですね。)

実は「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」ために、大学院に社会人入学して論文を書くのも一つの手かなと少し考えていました。ただ、現時点であまり大学院に魅力を感じない、時間的・金銭的にもしんどい、そもそも対象がまだ絞り切れてないと、考えていました。出来ないことをやろうとしても絶対にうまくいきません。しかもワクワク感が全くない選択肢です。

そこで、少し発想(言葉)を転換するため、言葉遊びをしてみました。すると、自分の目指すべき形をアルバムとしたらよいのかなと思いつきました。そう、論文でなくアルバムです。比較的長文の文章を、批評アルバムとして発表するのです。10本くらい書き溜めてアルバムを作りたいなと思っています。CDの歌詞本のような体裁としたら面白いですよね。ZINEやリトルプレスを参考にして、ちょっとしたレイアウトやデザインの勉強もできます。

ということで早速、現在、個人レーベルTCF(Tsubosh Critique Factory)で、シングル作を執筆中です。レコーディングの影響で、この三歩後退一歩前進シリーズは11月中旬までお休みしますが、その頃にはシングル作を1本お見せできるのではと思っています。楽しく、且つ、現実的に歩を進められればと思っています。

映画の奈落

ノンフィクションマラソン21冊目は『映画の奈落』です。今回は記事自体は短いです。

映画の奈落: 北陸代理戦争事件

映画の奈落: 北陸代理戦争事件

 

 滅法面白いノンフィクションです。笠原和夫脚本『仁義なき戦い』シリーズを脚本家高田宏治がどう超えようとしたかを軸に、現実を素材とした実録映画が逆に現実に飲み込まれていく様子が、時系列に沿って書かれています。

最近は便利になり、映画を動画配信で見ることができる時代となりました。早速、「北陸代理戦争」をGooglePlayで見てみました。脚本もさることながら、撮影、編集、演技、いずれもかなりレベルが高いです。ロケがかなりムチャな日程だったことが上述の本に書かれていますが、その影響なのか、映画に妙な疾走感、ドライブ感が宿っています。深作欣二、やっぱりすごいなと感じてしまいました。映画も見てみることをお勧めします。

サンシャイン水族館

8月25日に、職場の同僚とサンシャイン水族館に行ってきました。とても良かったのですが、一人では行くのはハードルが高いかなと…。写真を数枚撮りましたので、記念に貼り付けておきます。今年の夏ももう終わりつつあります。

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三歩後退一歩前進(その5)

前回の「三歩後退一歩」シリーズ記事の最後に、「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」ことが、私のオプセッションとして憑りついていることを紹介しました。このオプセッションという言葉でいつも思い出すのは、ライムスターの「Once Again」という曲です。この曲に次のような箇所があります。

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「夢」別名「呪い」で胸が痛くて
目ぇ覚ませって正論 耳が痛くて いい歳こいて先行きは未確定

この曲は、不惑を超えたはずの私のような人間にぐっと来るものがあります。まさに私も「いい歳こいて先行きは未確定」だからです。そして、「夢」別名「呪い」というリリックも心を揺さぶります。ただ、楽曲の素晴らしさとは別に、この箇所にはちょっとした違和感も感じていました。その違和感とは「夢」という言葉についてです。

あなたの夢は何ですか?―――もし、今、このように尋ねられたら、私は絶句してしまいます。無責任に夢を語ることができた幼い頃ならいざ知らず、今は仕事や日々の生活をこなすことで精一杯だからです。ただ、私が大学生、大学院生、そして働き始めたころにそう聞かれていたとしても、おそらく絶句しただろうなと思います。

「野球が好きだから野球選手になりたい」、「社会正義を実現するために弁護士になりたい」、「ギターを趣味として続けてきて、一度でよいでもよいから仲間と一緒にビックなステージに立ちたい」、このような発言に「夢」という言葉がふさわしく思えます。残念ながら私はそのような立派な夢を持つことができませんでした。ただ、いくら無為に過ごしていたとはいえ、全く日々、何の意志を持たず過ごしていたわけではありません。私にとって問題だったのは、自分の思いや試行錯誤が「夢」という形に収斂していかないことだったのです。

近代哲学の祖ともいわれるルネ・デカルトは、困難な問題に直面したとき、問題を出来る限り分割せよと言います。その言に倣い、「夢」という概念を分割してみると、「欲望」と「社会的意味」とに分けられるのではないかと考えています。そして、この「夢」とは、欲望が社会的に可能な意味(弁護士になる、野球選手になる等)を志向している状態と言えるのではとも考えています。「夢が世界征服」という冗談がありますが、裏を返せば夢は現実的なものでなければならないという社会的前提があるのではないでしょうか。

話の出発点に戻りましょう。「自分の問題意識をたどり直し、きちんと専門領域を決め、1本、論文(的なもの)を書く」というと、「そんなことをやることに何の意味があるのか」があるのかと、もう一人の私がささやきます。私は、その社会的意味を答えられません。しかしフラストレーションがたまります。もう一人の私の声、つまり社会的意味を優先させ、欲望を抑える方法もあるでしょう。でも今、私は、少しこの欲望に忠実になってみようかと思っているのです。

社会的意味からずれた欲望を形にするためには、自分の欲望の在り方を把握することと、それを実現するために頭を使うことしかないのかなと思います。昔の自分に足りなかったのは、頭を使うということだったかもしれない、と今では思います(そして少しの勇気も足りませんでした。)。

読みかけの本で恐縮ですが、千葉雅也さんのベストセラー『勉強の哲学』に紹介されている「欲望年表」も、頭の使い方を考えるために役に立つかもしれないと考えています。話が全く進みませんが、次回は『勉強の哲学』をきちんと読み終えて、(私の考える)頭の使い方について書いてみたいと思います。

最後に、このシリーズ、ちょっと学問的な話に寄りすぎている気がします。食べ物や服、(私が実は好きな)プロレスの話なども振り返りたいです。これらの嗜好も私自身の感性の多くを規定していると考えていますので。

ぼくらはガリレオ

 

ぼくらはガリレオ (岩波現代文庫)

ぼくらはガリレオ (岩波現代文庫)

 

自分の住んでいる国の産業や科学が外国よりもとても遅れているときには、外国の産業や科学を効果的に模倣する人材が大きな成果を挙げます。しかし、一度先進国の仲間入りをしてしまえば、いろいろなタイプの人びとが知恵を出し合うほうが創造的な社会を作り上げるのに効果的だと思います。科学の歴史はそういうことを示しているとも思うのです。(p.232)

 このノンフィクションマラソンでは、自然科学関連のノンフィクションにもチャレンジしたいと思っています。20冊目の今回は、仮設実験授業の基本書ともいわれる『ぼくらはガリレオ』です。ちなみに仮説実験授業とは、次のようなものです。

仮説実験授業 - Wikipedia

高校の物理の1回目の授業で、落下運動を教わったことをよく覚えています。そこでは、まず法則を教わり、それを問題演習で応用する方法が取られていたと思います。ただ、先に法則ありきでなかなか具体的なイメージがわいてきませんでした。法則は知っていても、重いものの方が軽いものより速く落下するイメージを払拭できなかったのです。

この本では、浮力の実験、振り子の実験、坂から物を落とす実験という様々な実験を行います。また、真空の有無、原子論とキリスト教との関係などの思想的な議論を紹介し、直観的には正しいが科学的には誤っている考え方を一つずつ検討していきます。この本により、落下運動やその法則を、直観やイメージの次元で理解することが(少し)できるようになったかなと思います。

福島の原発事故以降、自然科学の基礎知識は、生きていく上で、また、人を傷つけないためにも必要になっていると考えています。大人も、児童、そしてヤングアダルトの科学のノンフィクションによって、本当は理解していない科学の基礎を学べるのではないかとも思います。またまた提案になってしまいますが、児童向け科学ノンフィクションの良書を大人向けに紹介するような本の企画は面白いのではないでしょうか。そんな本があれば是非読んでみたいです。